第二回 憧れのヒーローはテレビから
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鳥だ!飛行機だ!スーパーマンだ!
「弾丸よりも速く、力は機関車よりも強く、高いビルディングもひとっ飛び!
空を見ろ、鳥だ、飛行機だわ、あっ、スーパーマン!
そうです、スーパーマンです!
遠い星からやってきた奇跡の男……、彼はクラーク・ケントと名のり、メトロポリスの新聞社デイリープラネットの記者となって、正義と真実を守るため、日夜闘い続けているのです」
憶えているでしょう、このナレーション。『スーパーマン』のタイトルで、いつも使われていたあれですよ。
1956年からはじまった『スーパーマン』は、私が住んでいた広島では59年になって、やっと観ることができたんです。私にとって、『月光仮面』と同じくらい、期待通りのワクワク・ドキドキの感動的番組でしたね。
ビルの陰から、電話ボックスから、新聞社の一室から、クラーク・ケントがスーパーマンに変身して飛ぶ飛行シーンは、毎回同じフィルムの使いまわしだったが、高層ビルの立ち並ぶ大都会の鳥瞰図は何度見ても驚きでした。
同僚であるカメラマンのジミー・オルセンや、婦人記者のロイス・レーンが事件に巻き込まれ、それを知ったクラークがスーパーマンに変身して悪党どもをやっつける、というのが物語のいつものパターン。それにしても、眼鏡をかけただけのクラークを、ジミーやホワイト編集長といった周りの人たちが誰一人として気づかないのが不思議だった。まして恋人であるロイスがわからないのはどういうことだ。スーパーマンには、人の意識を支配する力があって、ロイスたちには私たちが見ているクラークとは全く異なるクラークが見えていたのかもね。
銀行強盗がコンピューターを利用して、街の信号機を狂わせ、交通渋滞をひきおこして逃走するというストーリーがあったが、ラストでコンピューターを発明した博士が、スーパーマンの正体をコンピューターにかけたところ、それは教えられないとコンピューターが解答したのには笑ってしまった。
日本では視聴率73%を記録した超人気番組だったが、アメリカでも1953年から4年間にわたって放送された人気番組だった。主演のジョージ・リーブスが、スーパーマンのイメージがあまりに強すぎて他の役柄を演ずることができず、59年6月にピストル自殺したのはショックでしたね。
スーパーマンの吹替えをしていたのが大平透で、どことなくジョージ・リーブスに似たところがあり、スーパーマンの格好をして番組スポンサーのライオン歯磨きのCMに出ていたよ。 |
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『月光仮面』は疾風のように去った |
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1959年は、私にとってテレビにおける重要な年だった。現平成天皇が美智子様と結婚した“皇太子ご成婚”があったからではない。“皇太子ご成婚”に合わせて、広島で民間テレビ局RCCが開局し、あの噂に高かった『月光仮面』が見られるようになったからだ。マンガや映画では『月光仮面』を見知っていたが、都会の子どもたちを熱狂させているテレビシリーズは未知の世界だった。
日曜夜7時、“タケダ、タケダ、タケダ~”の音楽とともに、武田薬品の本社が映し出される。その後「月光仮面は誰でしょう」という主題歌とともに、月光仮面がオートバイに乗って現れるタイトルへと続く。期待と興奮で胸の熱くなる一瞬だ。白いボデースーツに白マント。白いブーツに白手袋。白覆面にサングラス。白いターバンの額の部分には燦然と輝く三日月マーク。正義の味方は白装束、悪人たちは黒装束とわかりやすい。
日本で製作した初めての連続TV映画。製作したのは宣弘社。30分あたり50万円という予算だったそうだ。その頃の物価が、現在の20分の1としても、おそろしく安い。悪人の手下に自社の社員を使ったり、セットとして自社の社長室を使ったりしたそうだ。 『月光仮面』の成功が、『豹の目』『快傑ハリマオ』『隠密剣士』へと、引き継がれる。
RCCが放送開始した時は、第1部“どくろ仮面”、第2部“パラダイ王国の秘宝”、第3部“怪獣コング”は終了していた。私が『月光仮面』を見たのは、第4部幽霊党の逆襲からである。莫大なウラン鉱山を我が物にしようと企む秘密結社・幽霊党に、月光仮面が敢然と立ち向かう。マントを肩にたくしあげ、拳銃を発射すると、悪人たちの拳銃がはじき飛ばされる。“憎むな、殺すな、許しましょう”のキャッチフレーズ通り、月光仮面はどんな悪人に対しても、決して傷つけないのだ。
ところが、視聴率40%を超える人気にもかかわらず、第5部“その復讐に手を出すな”の終了をもって、ブラウン管から姿を消してしまった。子供がマネをして、木の上から飛び降りてケガをする事故が時々起こり、親や教師から「暴力を奨励している」「教育上好ましくない」という声があがったからである。ケガをした子供は、たしかに月光仮面のマネをしていたかもしれないが、チャンバラしても忍者ゴッコをしても、ケガをする時はするのだ。
子供のケガとTVドラマを因果関係にして、強引に結びつけてしまうことが怖いよね。 第6部“ドラゴンの牙”が、『少年クラブ』では桑田次郎のマンガで、『少年マガジン』では原作者川内康範の小説で続いていたが、テレビなしでは人気が得られず、これでもって『月光仮面』は去ってしまった。 |
| 資料提供 : Nostalgic World |
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| 次回は「アニメで育ったあの頃」を掲載します。お楽しみに! |

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コメント
楽しみにしていた2回目を拝見しました。
やはりスーパーマンとなんと月光仮面でしたネ。2作品とも大好きな番組でした。読めば読むほど懐かしく数十年前を思い出します。私の幼年期が甦ります。これからも、楽しみにしています。
投稿者 藤原一彦 : 2006年12月09日 15:53
月光仮面、いいですね!私の家では残念ながら、まだテレビがありませんでした。近所のお金持ちの家に行って窓の外から見ていた記憶があります。文中に日曜夜7時からとありましたが、確か東京地方では夜6時から放映していたと思いますが…。(遅くなると両親に叱られるので見終わったら直ぐに家に帰って夕飯を食べていた)話は違いますが、主演の大瀬康一の奥さんになった「高千穂ひずる」の大ファンでした。(映画の笛吹き童子、良かったね~)
今度は懐かしの映画特集なども取り上げて下さい!!
投稿者 TVっ子 : 2006年12月15日 18:23
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