| 昨夏、高校野球で日本中をわかした「ハンカチ王子」こと斉藤佑樹(早稲田実)が早稲田大学に進学。久しぶりに東京六大学野球が脚光を浴びています。テレビもCS放送ながらレギュラー番組化し、早慶戦の前売り券も数時間で即完売になるほどの人気だそうです。
4月14日、斉藤が初登場したのが開幕戦の対東大戦。1年生の開幕戦登板は77年ぶりとのことですから、ものすごく歴史的なことであることが分かります。ただし、たまたまテレビでその試合を見た印象を言わせていただければ、「なんだ、斉藤人気でもこれくらいの観客しか入らないのか?」というのが偽らざる心境でした。
かつての東京六大学野球は、毎試合神宮球場が満員になる人気がありました。プロ野球ができる以前、そしてできた後も全国的な人気を誇っていたのです。たまたま、わたしが大学に入学するため上京した年も、甲子園で活躍した球児が大量に入学したため今以上の人気を博していました。
法政には袴田英利(静岡自動車工)、植松精一(静岡)、島本啓次郎(箕島)、佃正樹(広島商)、金光興二(広島商)、楠原基(広島商)、徳永利美(柳川商)。早稲田には山倉和博(東邦)、道方(箕面自由学園)、白鳥(静岡)らが入学しています。
しかし、何と言っても注目を浴びたのが作新学院から法政に入学した江川卓でした。作新学院時代から数々の記録を打ちたて「怪物くん」の異名をとった江川でしたが、作新学院では江川のワンマンチームであったため江川一人に注目が集まり過ぎ、チームメイトからは孤立し、江川自身もマスコミに対して不信感をいだき軋轢を生んだといいます。
ともかく、江川卓が高校3年生になった年は、よくも悪くも高校野球の話題は、江川一色になりました。春の選抜では自己の連続無失点記録を139イニングまで伸ばし、最多奪三振記録も更新(33イニングで60個)。その勢いは夏にも続き、栃木大会では44イニング無失点、奪三振75、決勝を含む3試合がノーヒットノーラン。高校通算では完全試合2試合、ノーヒットノーランを12回も記録しています。
ところが、作新学院は江川のワンマンチームだっただけに、簡単には試合に勝てず、優勝からほど遠いチームでした。甲子園最後の試合となった銚子商業戦も雨の中、延長戦にもつれ込み12回裏に一死満塁から押し出しのフォアボール。サヨナラ負けを喫してしまいます。その直前、マウンドで円陣を作った作新学院のチームメイトが、「江川のお陰でオレたちはここまで来れた。だから江川自身が悔いの残らぬよう、江川が投げたい球を思いっきり投げろ」と言ったと伝えられています。江川卓も後年、「最後の一球、あの時はじめてチームが一つになったような気がする」と語っています。
江川卓は最初は法政でなく慶応進学を目指しました。しかし、入学試験に失敗。浪人の道を選ばず、法政進学に進路を変更します。が、受験勉強の影響などで体重が増え、90kgを越してしまっていたようです。鳴りもの入りで六大学に飛び込んだものの、斉藤佑樹とは異なり即戦力は無理、1年の春は出場はないだろう、といわれていました。
江川と同学年だった私は、春のシーズンからせっせと神宮球場に通いました。そして5月25日、対東大1回戦に江川は六大学公式戦に初登板を果たします。法政が6-0とリードした8回から2イニング、打者7人に対して三振3、四球1の失点0。無難な神宮デビューでした。初球は打者・高橋に対して高めのストレート。1塁側スタンドへのファールになりましたが、初めてみる生(なま)江川の投球はとてつもなく速い球と感じました。東大の選手としては21年ぶり5回目の首位打者となる遠藤昭夫を3球三振に打ち取って江川の初登板は幕を閉じました。ちなみに、この日は江川の19回目の誕生日でした。
江川の登板は1試合だけに終わったこの春のシーズンは早稲田が優勝したのですが、それ以後、3年間8シーズン、優勝から遠ざかります。わたしの5年生(?)の秋まで早稲田は優勝できず、反対に江川・法政の快進撃が始まります。1年生の秋、東大に初黒星を喫したものの6勝をあげ、同級生の中林千年との1年生コンビで10勝をあげ、法政は完全優勝を果たします。
2年生の春は、島岡御大が率いる明治が打倒・法政を果たします。江川自身も8勝をあげるのですが、明治との初戦では大学初となる2ケタ安打を喫し、延長10回で2-3で惜敗。決勝の第3戦はピッチャーの丸山清光主将にホームランを打たれての敗戦。1年生の秋に続きベスト9に選ばれますが、満足できないシーズンに終わります。
2年生の秋も明治の勢いが続きます。開幕戦から東大に二連敗を喫した明治ですが、その後、巻き返して天王山の法政戦では丸山主将が力投、特に2回戦では延長14回を1人で投げきり1-0の勝利。2勝をあげて優勝を飾りました。江川は、右肩に不調を訴え、大事な法明戦に登板できず、ベスト9の座も丸山に譲ってしまいました。このころの六大学の主導権は完全に法明戦に移っていました。
“お祭り”で満員になる早慶戦と異なり、法明戦は平日でも満員の盛況でした。普通は閉鎖している第2内野席も、押し寄せるお客さんを入れるために開放。第1内野席から第2内野席につづく橋は、試合終了まで人が絶えることがありませんでした。
3年の春からいよいよ法政・江川の本格的な快進撃が始まります。法政は早稲田と慶応に第4戦までもつれ込む苦戦でしたが、高橋三千丈、鹿取義隆の2人で開幕から8戦全勝できた明治に雪辱、3季ぶりの優勝。江川は12試合に登板、80イニング3分の1を投げ6勝1敗、防御率0.56の成績でベスト9の座にも返り咲きました。
3年生秋のシーズンも江川の活躍は続きます。天王山となった早稲田戦では3試合連続完投の離れ業をみせ、10試合に投げ8勝2敗防御率0.74の好成績。打撃部門でも3割4分2厘でリーグ2位、2本塁打を含む10打点(リーグトップ)。まさにスーパープレーヤーの活躍を見せました。
そして迎えた4年生のシーズン。春は8試合に登板、5試合をシャットアウト、残り3試合も完投。防御率0.50、8勝無敗でベスト9を守り3連覇を果たします。そしてラストの秋シーズン。法政は圧倒的な力で勝ち点5の完全優勝。二度目のリーグ4連覇を果たします。江川自身も六大学の投手記録を次々と塗り替えます。通算勝利記録こそ先輩・山中正竹のリーグ新記録48勝に1個及びませんでしたが、通算完封記録17、通算奪三振443はリーグ新記録。ベスト9も8シーズンで6回。その他、最多勝6回、最多完封5回、防御率1位3回、最多奪三振7回など5部門のトップに立つこと合計22回。これは六大学史上最多。空前絶後の成績です。
東京六大学野球連盟は、江川卓の最後のシーズン、入場券の大幅値上げに踏み切ります(たしか学生券150円を300円に、内野席券300円を500円に)。六大学連盟役員の方々も、江川たち黄金時代の選手たちが卒業したあとの人気凋落を、ある程度予想していたのかもしれません。実際にそうなってしまいます。六大学野球は、徐々に人気をさげ、ほんとうのコアのファンだけが神宮球場に足を運ぶようになってしましました。
江川卓のことは、わたしと大学の入学年が同じこともあって、ずっと気になっていました。「空白の1日」を利用しての電撃ジャイアンツ入団。そして阪神に入団してからの巨人トレード。プロ野球では悪いイメージがついて回りましたが、なぜか気になる存在でした。そしてジャイアンツ退団にまつわる話のときも、ちょっとショックでした。それはミスタープロ野球・長島茂雄の退団の時に団塊の世代の皆さんが感じたのと同じような心境だと思います。同じ時代に学生時代を過ごした象徴的存在が現役を引退。それは、ちょっと寂しいことでした。
江川卓は、あえて指導者の道に入らず、解説者に徹しています。それも何故か分かるような気がします。でも、もし法政の監督に、とオファーがあったら、再びユニホームを着て神宮球場のベンチに入ってほしいな、とも思います。わたしにとっては、ジャイアンツのユニホームよりも「HOSEI」のユニホームの方が江川卓にとって、ふさわしいものだ、と思っているのです。
はたして斉藤佑樹は、江川卓を越えることができるのでしょうか。とりあえず、1年生の春シーズンにだけ限れば斉藤のほうが勝っています。これから再び神宮球場に満員のお客さんが集まるよう、そんな活躍を見せてほしいと願っています。
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