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第二十八回 日本代表を育てた日本高校サッカー選抜の海外遠征






(文) スポーツジャーナリスト・白髭隆幸
協力:SPORTS 21
 
北京オリンピック出場をめざしてU-22日本代表がアジア予選を戦っています。ライバルのシリアに競り勝ち2次予選進出を決めたましたが、その中心選手として戦っているカレン・ロバート、平山相太、増田誓志らとは4年前、日本高校選抜チームのヨーロッパ遠征帯同取材のおり同じ釜の飯を食べた間柄です。もともと日本高校選抜は、アジアユース大会(現在のU-19アジア選手権。ワールドユースのアジア予選を兼ねる)の日本代表チームとして編成されていました。ところが1971年の第13回大会から日本ユース代表(20歳未満)が編成されるようになり(18歳以下の高校選抜では1歳の年齢差が大きく実力的に劣るという理由)、高校選抜は発展的解消ということなりました。

そこで、全国高校選手権を主催する全国高等学校体育連盟サッカー部は、将来有望な若い選手たちに海外遠征の経験を積ませようと、日本高校サッカー選抜チームを1973年から結成、毎年欠かすことなく海外遠征を挙行してきました。(以前は春休み、現在はイースターの時期に開催される国際大会に参加するため時期は前後しています。)年末年始に開催されている全国高校選手権の優秀選手の中から選抜された選手が、77年まではアジア各地を、78年からはヨーロッパに遠征しています。87年からはドイツ・デュセルドルフ国際ユース大会とスイス・ベリンツォーナ国際ユース大会に交互に出場しています。

70年代から80年代にかけては、代表クラスのチーム以外で、サッカーで海外遠征をすることなど夢のまた夢の時代でした。高校選手権に出場し、優秀選手に選ばれ、そして海外遠征に行く。それはサッカー少年たちにとっては、ものすごいステータスであり、モチベーションを高める一大事業でした。わたしが、この遠征に最初に帯同取材したのが1983年。メンバーには清水東の三羽ガラスといわれた長谷川健太(現エスパルス監督)、大榎克己(現早稲田大学監督)、堀池巧(テレビ解説者)が2年生で参加していました。オランダのザイストで合宿、後に代表監督になるハンス・オフトがオランダサッカー協会の指導者コーチをしており、かれの指導も受けました。

当時の日本サッカーのレベルは低く、初参加となったデュッセルドルフ国際ユース大会では10チーム中6位に終わりましたが、初めて見たヨーロッパでのサッカーは強烈な印象でした。見学に行ったアムステルダム国立博物館のレンブラントの傑作「夜警」を見た時の感動も、昨日の事のように記憶しています。高校生にとっては、一生心に残る体験になったと思います。今でこそJリーグに進む高校3年生が、この遠征を辞退することが多くなってしまいましたが、かっては将来、代表入りする選手の多くが、この遠征に参加しました。ざっとあげてみると澤登正明、藤田俊哉、名波浩、小倉隆史、前園真聖、三浦淳宏、波戸康広、城彰二、川口能活、都築龍太……。ほんとうに多くの選手が高校選抜チームでヨーロッパに遠征しています。

この高校選抜の遠征は、国際ユース大会で2度優勝しています。最初の優勝は11年前の1996年、第56回ベリンツォーナ国際ユース大会です。この大会は国際サッカー連盟(FIFA)公認で、日本チームがFIFA公認大会の全てのカテゴリーの中で、優勝したのは史上初めてのことでした。その遠征の報告書に、参加したある選手が一文を寄せています。「今回の遠征に参加でき、ヨーロッパのサッカーを体験できたことは、僕のサッカー人生において本当に有益であったと思います。ただ、大会の試合に1試合も出場できなかったことは悔しかったです。この経験を今後のサッカー人生に生かしていきたいと思っています」

これを書いたのは、いまをときめくスコットランドで活躍中の中村俊輔です。桐光学園2年生の時、高校選手権で準優勝した中村は、優秀選手に選ばれ高校選抜の一員としてヨーロッパ遠征に参加したものの、本大会には出場できませんでした。時々、スポーツ新聞などで、「中村俊輔擁する高校選抜はベリンツォーナ大会で優勝している」という記事を目にすることがありますが、笑ってしまいます。中村は1試合も出ていないのですから。その時の事情を、当時の監督だった林義規先生(暁星高校教諭)は、
「あの時の中村はテクニックはあったが、ヒョロヒョロしていて、とても試合に出せるような状態ではなかった。ただベンチで試合中でもノートを広げて気が付いたことがあると書き込んでいたね」と語っています。

その年の秋も深まった時に行われたアジアユース大会。中村俊輔はU-19日本代表に選出され大ブレークしています。やはり、高校選抜での体験が、かれの成長に大きく影響していることは間違いないでしょう。前園真聖も中村と同様、高校選抜では大会の試合には、まったく出ていません。試合に出ないことでも、その体験は重要であると言えるんでしょうね。わたしは1983年以来およそ1年おきに13回、高校選抜の遠征に同行し取材しています。残念ながら優勝の場面には立ち会っていません。2006年、日本高校選抜チームは第66回ベリンツォーナ国際ユース大会で10年ぶり2度目の優勝を果たします。残念ながら、その場面にも居あわせることが出来ませんでした。

それを受けた今年の高校選抜チーム。初のデュッセルドルフ国際ユース大会優勝を取材できるのでは、と楽しみに出かけたのですが、残念ながら4戦全敗。1ゴールも上げられずに10チーム中10位(つまり最下位)と沈んでしまいました。ヨーロッパ強豪の4チーム(フォルツナ・デュッセルドルフ、ハンブルガーSV、PSVアイントフォーヘン、ヴェルダー・ブレーメン)の厚い壁に跳ね返されてしまったのです。1991年のJリーグ創立以来16年間、ずっと右肩あがりできた日本サッカー界も、そろそろ考え直す時期が来ているのかもしれません。「負けて学ぶこともある」。この遠征は、あくまでも通過点です。この苦い経験を生かして、将来有望な選手たちには、中村俊輔のように成長してもらいたいと思っています。




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