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第二十三回 ラグビー日本選手権 学生が社会人に勝てた時代






(文) スポーツジャーナリスト・白髭隆幸
協力:SPORTS 21
 
1月から2月にかけ寒さが一番厳しくなる時期に、ラグビーの日本選手権が開催されます。第1回は1964(昭和39)年で長い間、1月15日の成人の日に大学選手権の勝者と社会人大会のチャンピオンが、「ラグビー日本一」の座を賭け一発勝負で争ってきました。あの新日鉄釜石が7連覇をスタートするまで、15回戦って学生6勝、社会人9勝。最近でこそ学生は社会人に勝てなくなってしまいましたが、昔は学生も五分で戦える数少ないスポーツだったのです。

いま振り返ると、毎年メンバーが変わる大学ラグビーが、社会人に勝っていたのは奇跡のようにも思えます。学生が優勝したのは、第1回の同志社、第3回の早稲田、第7回の日体大、第8回と第9回の早稲田、第13回の明治、第23回の慶応、第25回の早稲田の計8回。今年が44回ですから、貴重な学生の勝利の歴史です。もっとも最近の優勝は1987年の早稲田が東芝府中を22-16で破った試合です。その年は、早稲田に堀越、今泉、藤掛の期待の新人が加わり、「鬼のキモケン」といわれた故木本健治監督の厳しい指導の下、久しぶりに充実したシーズンでした。いま話題の清宮克之(サントリー監督)が2年生No.8で、メンバーに名を連ねていました。

わたしにとって一番記憶にのこっている日本選手権は、1975(昭和50)年の第12回大会です。その試合は、わたしが大学に進学して初めての日本選手権で、同時にわたしの成人式の日にも当たっていました(成人の日に開催されたときは、晴れ着姿のお嬢さんがたくさん観戦にきていました。現在は高校サッカー選手権決勝が成人式当日に開催されていますが、なぜ日本ラグビー協会は成人式の試合を手放してしまったのでしょうか?)。

当時のわたしは早稲田ラグビー部の追っかけのようなことをしていて、その年の早稲田ラグビーの試合は、公式戦はもちろんのこと、練習試合もほとんど見ていました。自然と選手たちとも顔見知りになり、親しくお付き合いをさせていただいていたのです。早稲田は、対抗戦グループを7戦全勝で5連覇達成。交流戦でも専修に56-14で快勝、大学選手権は福岡工大に82-0、日体大に43-8、明治に18-0と3連勝、7回目の優勝を連覇で飾り日本選手権の出場権を手にしました。対するのは社会人の雄・近鉄でした。郷里・名古屋での成人式に出席した白髭青年は、新幹線で上京。国立競技場に向かいます。千駄ヶ谷駅から歩いていくと、すでに6万の大観衆に埋まった国立競技場からは、うなりのような歓声が聞こえてきました。キックオフの時間に間に合わなかったのですが、その時の興奮は今でもはっきり記憶しています。

近鉄フィフティーンはFW吉井、黒坂、原(後年プロレスに転向した阿修羅原です)、小笠原、首藤、下司、笠井、吉野。HB今里、上村。TB坂田、栗原、吉田、浜野。FB越久。日本代表を含む強力メンバーです。とくにWTB坂田は、この試合で現役引退を発表しており、そういった意味でも注目を集めていました。坂田は、ニュージーランド留学中にニュージーランド大学選抜に選ばれ、ラグビーが国技の同国代表チーム・オールブラックス入りも噂された世界一流のウイングでした。現在は大阪体育大学で教鞭をとり、監督を務めています。

対する早稲田のフィフティーンは、すらすらと名前が出てくるほどのシーズン不動のメンバーでした。FW佐野、末石、高橋、中村、横山、佐藤、石塚、山下。HB辰野、星野。TB吉田、畠本、南川、藤原。FB植山。試合は風下の近鉄キックオフで開始されました。近鉄が誇る平均体重84kgの重量FW(現在では高校ラグビーでも軽量といわれるかも)が早稲田(平均体重73kg)を圧倒します。低いスクラムで必死に耐える早稲田。早稲田は、マイボール・スクラムではダイレクトフッキングから素早い球出しでバックスに展開、タックルされれば軽量でも差が出ないラックにして再びバックスにボールを供給。伝統の揺さぶり攻撃で近鉄を翻弄します。

それでも近鉄の優位は変わりません。相手の反則を誘い3分に栗原がPGで先制します。早稲田は10分、植山のPGで追い付きますが、13分に再び栗原がPGに成功し引きはなわれます。しかし、早稲田も負けてはいません。19分に植山が難しい角度のPGを決めて6-6の同点に追い付きます。早稲田は、セットスクラムで再三フォーリングダウンのペナルティーを犯しましたが、ラインアウトでは近鉄を上回る出来でした。それが前半6-6の同点、善戦につながったのでしょう。

後半、先制したのは早稲田でした。1分に植山のロングキックで近鉄陣深く入った早稲田は、直後の近鉄SO上村のノータッチキックを早稲田No.8山下が補球、敵陣深くまで突進して植山にパス、植山は近鉄のタックルをかわして右すみにトライ。早稲田は10-6(当時のトライは4点)と、この試合はじめてのリードを奪いました。

しかし近鉄は7分に栗原のPG、9分に早稲田の右ライン攻撃をインターセプトして吉田がゴール下直下にトライ。あっという間に13-10と逆転します。13分、早稲田はサインプレー「カンペイ」でFB植山がライン参加、右WTBの藤原がノーマークになりますが、藤原が肉離れをおこし自滅、最大のチャンスを逃します。15分、早稲田は植山がPGを決め13-13と同点にしますが、この得点が早稲田がこの試合で得た最後の得点になりました。

その後、近鉄の猛攻を耐えていた早稲田ですが、17分、29分と近鉄・栗原にPGを決められ、31分には浜野が右オープン攻撃で初トライをあげると、2分後には今里がスクラムサイドを破りトライ、39分には坂田が花道を飾るトライをあげて33-13としてノーサイドを迎えました。早稲田は負傷した藤原を25分に久保田に交代しました(当時のルールではドクターが治療して負傷を認めないと選手交代ができなかった)が、それ以上、得点することはできませんでした。自分の成人式の日、早稲田はよく戦ってくれました。負けはしましたが、心に残る一戦であったと思います。学生が、格上の社会人の胸を借りる日本選手権。昨今、ますます学生と社会人の実力差は開き「ミスマッチ」などと揶揄する人もいますが、昨年度の第43回大会では久しぶりに早稲田がTOPリーグのトヨタを破っています。これからも学生チームが良きチャレンジを見せてくれることを信じています。




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コメント

ラグビー日本選手権には数多くの思い出があります。私のベスト3は、①新日鉄釜石の森・松尾率いる戦い。特に、松尾の引退試合。②神戸製鋼 平尾・大八木の日本選手権。③は早稲田・近鉄の選手権です。今回の記事は、その思い出が甦る気分です。ラグビー最高・・・・・

投稿者 ラグビーファン : 2007年02月01日 11:01

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