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4.冗句人の巻

 
(文)エッセイスト・池田佳代
 
開高健の美学には、トランジットライフをハッピーにする
秘密とノウハウが詰まっている。
 

御鳴楽をしてもいいから小話は忘れるな


「たとえば、西洋の食事では、御鳴楽をするのはまあまあ許されるけれども、ゲップは御鳴楽よりも犯罪的であると言われていますが、御鳴楽をしてもいいから小話は忘れるな、というのが最大のエチケットでしょう」

[証言]

「男同士笑い話をお互いに競い合うんですね。もうメキシコからずっと夜はそういう場がいろいろありまして・・・・それもちょっとエッチな話をお互いやり合うわけです」(森啓次郎「ごぞんじ 開高健」Ⅱより)
「ジョークのやり取りが間断なしに続くもんだから、ああ、これはとんでもない通訳を引き受けてしまったなと後悔しましたよ」(鯉渕信一(「ごぞんじ 開高健」より)


食事で小話するのはエチケット

 
開高 健あるパーティで久しぶりに会った素敵なおじ様とおしゃべりしていたら、「最近こってるの」といって小話を1つ耳元でささやいた。クスンと笑ったら「僕ね、もう覚えちゃったからタネ本プレゼントしたげる」と送ってくださったのが『食卓は笑う』。開高健氏の本だった。この本にはジョークの中で開高氏が出色と思ったものが50あまりも詰まっている。私は知らなかったけれど、「イギリス人もイタリア人もロシア人も、むっつりとしていると思われているドイツ人ですら」、食事の席ではみんな小話をするのがエチケットなんだそう。

日本人は、西洋料理店ではまるで通夜の席みたいに黙りこくってごはんを食べるが、生きる歓びが濃厚に出るこの食事時にこそ、面白い話をして笑わせよう。国際情勢ますます緊迫しているなか、外交官は笑いを絶対に欠かすことはできない。外務省が大使、公使などを送り出すとき、新聞社が特派員、商社が駐在員を送り出すとき、成田空港でユーモア度テストをおやりなさい。など、痛烈な皮肉とユーモアをもってジョークが紹介されている。

サイズは縦17センチ、横12センチで、開高氏の本としてはかわいらしい。初版は1982年12月1日。私の手元にあるのは3刷で同じ月の25日に発行されているから、よく売れた本だと思う。周りの人に「英語でジョークの一つや二つは言えるようになりたまえ」と開高氏は発破をかけていたようだが、お気に入りのジョークについては英訳までついている。直球しか投げられない不器用な私に、たまには変化球でも投げてみたら、というおじ様からのアドバイスだと思ってありがたくいただいたが、この本で開高氏のジョーク好きを始めて知った。

ジョークを飛ばせるのは男だけ

この本で紹介されたジョークは、政治についての微妙な話もあれば、アハッと大らかに笑えるものから、女の私にはちょっと口に出すのもねと思えるきわどいものまでいろいろである。それは後ほど紹介することにするが、開高氏はこの本のあとにまたジョーク集を出している(開高氏が亡くなった年である1987年の3月)。「水の上を歩く?酒場でジョーク十番勝負」。元週刊プレイボーイの編集長島地勝彦さんと、なんと10章にわたって自慢のジョークを飛ばしあっている。開高氏とは一晩中でもジョークをしゃべりあった、と回想した人の話を読んだときは、ほんとかな思ったけれど、けして大げさではなかったのだと納得した。

もっとも、この本の中で開高氏は「女にもジョークのいい聞き手というのはいないではないと思うけれども、ジョークを聞かせる女には出会ったことがないな――日本でも、外国でも」といっておられる。ジョークとは男性の文化らしい。私はジョークのセンスも戦わせ方も知らなかったが、まあ許されるかなと思った。とにかく興味を持ったらとことんやる、という開高氏のエネルギーはジョークにも注ぎ込まれていたのである。

南米でも、モンゴルでも

開高氏に近い人たちの間では、氏のジョーク好きにまつわる証言はいくつもある。たとえば―――。

アルゼンチンにはアサドという、肉を串にさして丸焼きにする料理があるが、男の人たちはたき火の前で笑い話をお互いに競いあうそうだ。「もうメキシコからずっと夜はそういう場がいろいろありまして、‥‥それもちょっとエッチな話をお互いやり合うわけです。開高さんがしゃべると、向こう側もそれを受けて何かしゃべる。そうすると、それを受けて、またしゃべる」(南北アメリカ大陸の縦断紀行に同行した新聞記者、森啓次郎さん)

「開高さんはモンゴル人スタッフにしょっちゅうジョークを飛ばすわけですよ。するとモンゴル人もジョークが好きなものだから、ジョークを返してくる。ジョークのやり取りが間断なしに続くもんだから、ああ、これはとんでもない通訳を引き受けてしまったなと後悔しましたよ(笑)。日本側とモンゴル側が対立する緊張した場面が何度もありましたが、開高さんのこうした心配りがいつも緊張を和らげ、問題の複雑化を食い止めてくれたという感じでした」(「開高健のモンゴル大紀行」で通訳を担当した当時モンゴル国立大学交換教授、鯉渕信一さん)

『食卓は笑う』では、西洋の食事に欠かせないと書いてあるけれど、ジョークが受けるのは欧米だけでない。ブラジル、いやモンゴルでだって開高氏は、礼節として用意したジョークを連発して、大いにうけていた。

人とのつながりを密にする秘密兵器

開高氏は、日本でも人のつながりを密にする秘密兵器としてジョークを楽しんでいた。

「初めてお会いしたのは『伊勢源』という神田のあんこう鍋の店でした。初対面にもかかわらず、お互いにフランスとかロシアとかアメリカで仕入れてきたジョークを、いきなり飛ばし合い、身をよじり、涙を流しながら笑い合ったことを、いまでもときどき思い出します。あの人は笑うときは、百メートルぐらい離れたところにも届くほど豪快に、まさに呵々大笑なさいました。チャーミングな笑顔が本当に懐かしく思い出されます」(元リーダーズ・ダイジェスト社長で『食卓は笑う』に掲載されているジョークを英訳した塩谷紘さん)。

開高氏に近かった人たちは、氏は見た目には豪快なイメージはあるけれど、実は繊細で、びっくりするくらい配慮が細やかな人だったと口を揃えていう。「お酒を飲みながら話していても、すごく気を使ってくれているのがわかるんです。退屈しないようにという感じでジョークやら、女性の前では話せないような艶笑小噺とかをまじえながら真面目な話も仕事上のアドバイスもしてくれる」(「オーパ!」シリーズのブック・デザイナー、三村淳さん)

こういう話を読むと、気遣いの延長戦上にジョークがあったのだとも思わされる。ただ長く取材旅行などで一緒になると、やっかいなこともあったみたいだ。

「先生といえどもそう年がら年中、新しいジョークを仕入れていたわけじゃないから、『あっ、また同じジョークを言っているな』と思うこともあるんです。でも『またそのジョークですか』なんて言ったら張り倒されるから(笑)口には出しはしませんでしたけどね」(「オーパ!」シリーズなどのカメラマン、高橋さん)

「私はしまいに、同じ話を何度もきかされるものですから、もう二十種類ぐらいの話を覚えてしまったんですね」(森啓次郎さん)

ジョークは文化だ

高橋さんによると開高氏は「ダジャレだけは嫌いで、ダジャレを言うと本当に怒られましたから。でも、ジョークはいい、ジョークには文化があるから」といっていたという。開高氏自身もエッセイにこんなことを書いている。

「慣用句や諺や小話は作者不詳のものが大部分であるが、その国の住人が歳月をかけて練りに練り、削りに削った英知が含まれているから、チョイ書きの文明などが足もとにも及べないリアリティーがある」。「(作家は)ときどきこういう簡潔にして深く、また広い英知に出会ってシャワーを浴びるということもしなければなるまい。後口なおしにそれらは絶好である」

実際ジョークのクオリティをさらに高めるための努力も欠かさなかったようだ。また同じジョークかと思っても、よくよく聞いてみると微妙に違っていたという。
「余分な部分を削って、大事なところを付け加えるという感じで、ちょっとねじってあるというか、同じでもその都度いじってある」(高橋さん)


キャビア男に気をつけて

開高氏がどんな顔をしてジョークをとばしていたのか興味がわくが、幸運にも録画できたビデオでそういうシーンを見つけることができた。1987年、開高氏が亡くなる2年前に放映された「キャビアキャビア」というテレビ番組である。昨年7月、開高氏の生の姿を見てみたいなあと思っていたとき、偶然衛星テレビの番組表で見つけた。熱い思いは偶然を呼び寄せるのですね。

ニューヨークきってのキャビアレストランで、開高氏は当時の人気女優ブルック・シールズと会食をする。ぎこちなく始まった食事の雰囲気を何とか和らげようと、開高氏がいたずらを思いついた少年がよくするようなお茶目な目つきで話題を切り出す。「何しろ精がつきますから、キャビア男は恐ろしいですよ」。対して、ブルック・シールズがエレガントに切り返す。「キャビア女にも気をつけて」。

開高氏の鋭さを残したお茶目な目つきがとってもかわいかったのでした。

面白くなくても笑ってあげなさい

開高氏は、ジョークを楽しむための条件として、

  • ・インテリはたいてい祖国の悪口を言うが、それに同調してはいけない
  • ・人が小話を始めたら、ア、ソレ知ッテルといってはいけない
  • ・下ネタ話をするときは一座のメンバーの気質がよくわかってからにする
  • ・たとえ面白くなくても笑ってあげなさい。すばやく酒をグラスに入れて、乾杯!と叫んでまぎらしてしまうのも手である

など、まるで自分のことをケアするみたいにいろいろ書いている。さらに、ジョークに熟達するために、「頭の中で繰り返し練習をしてから話を始めること、余計な説明を入れないこと」。また「日頃聞かされてウンザリしている小話であっても客にとってははじめて聞く話だから、あなたが古ネタを話しはじめても奥さんはアクビをしたり、タメ息をついたりしないことを日頃からよくよく申し渡しておきなさい」ともいっている。

脳科学者の川島隆太先生は、声に出して文字を読んだり、笑いあったり、コミュニケーションをとったりするのは、脳の活性化にとってもいいといっておられた。覚える、声に出す、笑わせる、余分をそぎとってクオリティを上げるといった特質を持ったジョークは、絶対脳を鍛えると思う。

おすすめジョークをいくつか 

『食卓は笑う』から、開高氏推奨のジョークをいくつか紹介しよう。簡潔でわさびのきいたのをまず3つ。


モスコーで。1人の男が書店へ入ってきて、『男は女の支配者』という本はどこにおいてあるかしらとたずねたら、店員がそっけなく、空想小説ならとなりの売り場ですと答えた。とか。


「独裁者と王様のちがいは?」「ハッキリしてます」「何でしょう?」
「王様なら誰でもその父親のことをよく知っていますが、独裁者の父のことは誰も知りません」


西では童話は“むかし、むかし”で始まる。東では童話は“やがていつかは”で始まる。

この本の中で好きなジョークはどれ?と聞かれて、開高氏がこの3つと答えたのが「北京の話」「パリで」「協力はすれども」である。私はとくに北京の話がすごく好き。開高氏も「普遍的な人間性というものをみごとにえぐっている」とほめている。最後にこのジョーク3つを紹介したいけれど、「協力はすれども」はちょっと私には書くにははばかられる言葉が入ってるので控えます。興味のある方は『食卓は笑う』を開いて読んでみてくださいね。


北京の話

軍隊で、あるとき、いっせいに兵隊が、女房がこわいといいだした。どいつもこいつも口をそろえて、こわい、こわいという。女房がこわいようでは戦争なんかできないぞと、隊長は説教するが、兵隊は口ぐちに、戦争なんかヘッチャラです、今からでも行きます、だけど女房は戦争よりこわいですと、いいたてる。そこで兵隊の勇気をふるい分けてみようと思って隊長は命令をだす。女房のこわい兵隊は右へ出ろ。こわくないのは左へ出ろ。するとたちまち百人のうち九十九人の兵隊が右へ出た。左へ出たのは1人きりだった。隊長はその男のところへかけつけて、感動して、お前だけがほんとの人民英雄だと叫んで、肩をたたいた。するとその男は恐縮し、ひくいひくい声ではずかしそうに、いえ、ナニ、私、女房にいつも、みんなのあとについていってはいけないと、いわれつけてるもんですからと、答えた。

パリで。

ある夜、私がキャフェの椅子にすわってチビチビやってるところへたくましい若者がやってきて力自慢をする。レモンを1個とりあげ、全身の力をこめ、額に青筋をたて、歯を食いしばってにぎりしめるのである。ジュースがサッとほとばしるのを見て私は感動し、兄さん、お仕事は何を、とたずねると、若者は誇らしげに、オレは市場の労働者だがときどきジムへいってボディービルをしているのさと答える。そこへ一人の老人がヨチヨチと寄ってくる。咳はゴンゴン、喉はゼイゼイの御老体。それがブルブルふるえる指をのばし、ムッシュー、ちょっと失礼しますといって例のレモンをとりあげ、指さきでホンのかるくひねりひねったら、ジュースがザッと、最後の一滴までほとばしり、レモンはカラカラの干物みたいになる。若者と私が仰天し、異口同音に、お父さん、仕事は何してんのとたずねたら、老人はハニかんで、うなだれ、低い低い声で、イエ、なに、私ちょっと税務署に関係してますんでと、答えた。

取材協力 : 開高健記念館

コメント

さすがコピーライター出身だけあって、話がうまいですね。いくつになっても、洒落た会話ができる男で有りたいと思います。その点開高健さん天才です。次回を楽しみにしています。

投稿者 岡野 俊 : 2007年07月02日 15:25

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