| (文)エッセイスト・池田佳代 | ||||
開高健の美学には、トランジットライフをハッピーにする 秘密とノウハウが詰まっている。 |
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御鳴楽をしてもいいから小話は忘れるな |
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食事で小話するのはエチケット あるパーティで久しぶりに会った素敵なおじ様とおしゃべりしていたら、「最近こってるの」といって小話を1つ耳元でささやいた。クスンと笑ったら「僕ね、もう覚えちゃったからタネ本プレゼントしたげる」と送ってくださったのが『食卓は笑う』。開高健氏の本だった。この本にはジョークの中で開高氏が出色と思ったものが50あまりも詰まっている。私は知らなかったけれど、「イギリス人もイタリア人もロシア人も、むっつりとしていると思われているドイツ人ですら」、食事の席ではみんな小話をするのがエチケットなんだそう。日本人は、西洋料理店ではまるで通夜の席みたいに黙りこくってごはんを食べるが、生きる歓びが濃厚に出るこの食事時にこそ、面白い話をして笑わせよう。国際情勢ますます緊迫しているなか、外交官は笑いを絶対に欠かすことはできない。外務省が大使、公使などを送り出すとき、新聞社が特派員、商社が駐在員を送り出すとき、成田空港でユーモア度テストをおやりなさい。など、痛烈な皮肉とユーモアをもってジョークが紹介されている。 サイズは縦17センチ、横12センチで、開高氏の本としてはかわいらしい。初版は1982年12月1日。私の手元にあるのは3刷で同じ月の25日に発行されているから、よく売れた本だと思う。周りの人に「英語でジョークの一つや二つは言えるようになりたまえ」と開高氏は発破をかけていたようだが、お気に入りのジョークについては英訳までついている。直球しか投げられない不器用な私に、たまには変化球でも投げてみたら、というおじ様からのアドバイスだと思ってありがたくいただいたが、この本で開高氏のジョーク好きを始めて知った。 |
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| ジョークを飛ばせるのは男だけ この本で紹介されたジョークは、政治についての微妙な話もあれば、アハッと大らかに笑えるものから、女の私にはちょっと口に出すのもねと思えるきわどいものまでいろいろである。それは後ほど紹介することにするが、開高氏はこの本のあとにまたジョーク集を出している(開高氏が亡くなった年である1987年の3月)。「水の上を歩く?酒場でジョーク十番勝負」。元週刊プレイボーイの編集長島地勝彦さんと、なんと10章にわたって自慢のジョークを飛ばしあっている。開高氏とは一晩中でもジョークをしゃべりあった、と回想した人の話を読んだときは、ほんとかな思ったけれど、けして大げさではなかったのだと納得した。 もっとも、この本の中で開高氏は「女にもジョークのいい聞き手というのはいないではないと思うけれども、ジョークを聞かせる女には出会ったことがないな――日本でも、外国でも」といっておられる。ジョークとは男性の文化らしい。私はジョークのセンスも戦わせ方も知らなかったが、まあ許されるかなと思った。とにかく興味を持ったらとことんやる、という開高氏のエネルギーはジョークにも注ぎ込まれていたのである。 |
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| 南米でも、モンゴルでも 開高氏に近い人たちの間では、氏のジョーク好きにまつわる証言はいくつもある。たとえば―――。 アルゼンチンにはアサドという、肉を串にさして丸焼きにする料理があるが、男の人たちはたき火の前で笑い話をお互いに競いあうそうだ。「もうメキシコからずっと夜はそういう場がいろいろありまして、‥‥それもちょっとエッチな話をお互いやり合うわけです。開高さんがしゃべると、向こう側もそれを受けて何かしゃべる。そうすると、それを受けて、またしゃべる」(南北アメリカ大陸の縦断紀行に同行した新聞記者、森啓次郎さん) 「開高さんはモンゴル人スタッフにしょっちゅうジョークを飛ばすわけですよ。するとモンゴル人もジョークが好きなものだから、ジョークを返してくる。ジョークのやり取りが間断なしに続くもんだから、ああ、これはとんでもない通訳を引き受けてしまったなと後悔しましたよ(笑)。日本側とモンゴル側が対立する緊張した場面が何度もありましたが、開高さんのこうした心配りがいつも緊張を和らげ、問題の複雑化を食い止めてくれたという感じでした」(「開高健のモンゴル大紀行」で通訳を担当した当時モンゴル国立大学交換教授、鯉渕信一さん) 『食卓は笑う』では、西洋の食事に欠かせないと書いてあるけれど、ジョークが受けるのは欧米だけでない。ブラジル、いやモンゴルでだって開高氏は、礼節として用意したジョークを連発して、大いにうけていた。 |
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| 人とのつながりを密にする秘密兵器 開高氏は、日本でも人のつながりを密にする秘密兵器としてジョークを楽しんでいた。 「初めてお会いしたのは『伊勢源』という神田のあんこう鍋の店でした。初対面にもかかわらず、お互いにフランスとかロシアとかアメリカで仕入れてきたジョークを、いきなり飛ばし合い、身をよじり、涙を流しながら笑い合ったことを、いまでもときどき思い出します。あの人は笑うときは、百メートルぐらい離れたところにも届くほど豪快に、まさに呵々大笑なさいました。チャーミングな笑顔が本当に懐かしく思い出されます」(元リーダーズ・ダイジェスト社長で『食卓は笑う』に掲載されているジョークを英訳した塩谷紘さん)。 開高氏に近かった人たちは、氏は見た目には豪快なイメージはあるけれど、実は繊細で、びっくりするくらい配慮が細やかな人だったと口を揃えていう。「お酒を飲みながら話していても、すごく気を使ってくれているのがわかるんです。退屈しないようにという感じでジョークやら、女性の前では話せないような艶笑小噺とかをまじえながら真面目な話も仕事上のアドバイスもしてくれる」(「オーパ!」シリーズのブック・デザイナー、三村淳さん) こういう話を読むと、気遣いの延長戦上にジョークがあったのだとも思わされる。ただ長く取材旅行などで一緒になると、やっかいなこともあったみたいだ。 「先生といえどもそう年がら年中、新しいジョークを仕入れていたわけじゃないから、『あっ、また同じジョークを言っているな』と思うこともあるんです。でも『またそのジョークですか』なんて言ったら張り倒されるから(笑)口には出しはしませんでしたけどね」(「オーパ!」シリーズなどのカメラマン、高橋さん) 「私はしまいに、同じ話を何度もきかされるものですから、もう二十種類ぐらいの話を覚えてしまったんですね」(森啓次郎さん) |
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| ジョークは文化だ 高橋さんによると開高氏は「ダジャレだけは嫌いで、ダジャレを言うと本当に怒られましたから。でも、ジョークはいい、ジョークには文化があるから」といっていたという。開高氏自身もエッセイにこんなことを書いている。 「慣用句や諺や小話は作者不詳のものが大部分であるが、その国の住人が歳月をかけて練りに練り、削りに削った英知が含まれているから、チョイ書きの文明などが足もとにも及べないリアリティーがある」。「(作家は)ときどきこういう簡潔にして深く、また広い英知に出会ってシャワーを浴びるということもしなければなるまい。後口なおしにそれらは絶好である」 実際ジョークのクオリティをさらに高めるための努力も欠かさなかったようだ。また同じジョークかと思っても、よくよく聞いてみると微妙に違っていたという。 「余分な部分を削って、大事なところを付け加えるという感じで、ちょっとねじってあるというか、同じでもその都度いじってある」(高橋さん) |
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| キャビア男に気をつけて 開高氏がどんな顔をしてジョークをとばしていたのか興味がわくが、幸運にも録画できたビデオでそういうシーンを見つけることができた。1987年、開高氏が亡くなる2年前に放映された「キャビアキャビア」というテレビ番組である。昨年7月、開高氏の生の姿を見てみたいなあと思っていたとき、偶然衛星テレビの番組表で見つけた。熱い思いは偶然を呼び寄せるのですね。 ニューヨークきってのキャビアレストランで、開高氏は当時の人気女優ブルック・シールズと会食をする。ぎこちなく始まった食事の雰囲気を何とか和らげようと、開高氏がいたずらを思いついた少年がよくするようなお茶目な目つきで話題を切り出す。「何しろ精がつきますから、キャビア男は恐ろしいですよ」。対して、ブルック・シールズがエレガントに切り返す。「キャビア女にも気をつけて」。 開高氏の鋭さを残したお茶目な目つきがとってもかわいかったのでした。 |
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| 面白くなくても笑ってあげなさい 開高氏は、ジョークを楽しむための条件として、
脳科学者の川島隆太先生は、声に出して文字を読んだり、笑いあったり、コミュニケーションをとったりするのは、脳の活性化にとってもいいといっておられた。覚える、声に出す、笑わせる、余分をそぎとってクオリティを上げるといった特質を持ったジョークは、絶対脳を鍛えると思う。 |
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取材協力 : 開高健記念館 |
さすがコピーライター出身だけあって、話がうまいですね。いくつになっても、洒落た会話ができる男で有りたいと思います。その点開高健さん天才です。次回を楽しみにしています。
投稿者 岡野 俊 : 2007年07月02日 15:25