3.続・美食人の巻
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| (文)エッセイスト・池田佳代 |
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開高健の美学には、トランジットライフをハッピーにする
秘密とノウハウが詰まっている。 |
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どうも開高さんはものを食わないやつは信じないようなところがあった。 |
「心に通じる道は胃を通っている」というのはイギリス人のことわざだが、――これ以上の率直はないと思われる。
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[証言]

「物を食うとき、目の前のものだけを食っていたのではない。先生は全人格で、すべての過去も一緒に食っていたような気がする」(高橋曻)
「独特のかたちで取材を始めていたような気がするんです。なかでも食べ物という入口はとても重視していた」(菊池治男「ごぞんじ 開高健」より) |
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食わんやつは信じない
開高氏の釣り紀行の代表作「オーパ!」とそのシリーズで、いつもカメラマンとして同行していた高橋曻さん。旅先では1カ月とか2カ月とか毎日毎日顔を合わせ、開高さんの食への貪欲さを日常的に肌で感じることができた。
「僕がまず思い出すのは、あのブラジル風の、肉のかたまりを串に刺したシュラスコだけど、どうも開高さんはものを食わないやつは信じないようなところがあった。――先生はその頃、たしか胆嚢をとったばかりだったのに、いつも肉を1キロぐらいやっつけていた。とにかく食うということから、旅のエネルギーの大部分をもらっていたような気がする」(「ごぞんじ 開高健」)
高橋さんと一緒に「オーパ!」などに同行した編集者菊池治男さんは、取材旅行での開高氏についてこう語る。「独特のかたちで取材を始めていたような気がするんです。なかでも食べ物という入口はとても重視していた。(釣りの準備のために)1週間ほどただブラブラ寝たり起きたり、釣りも何もできないという状態が続いたわけだけど、あのときから食に関しては猛然たる好奇心を発揮していたように思う―――」(「ごぞんじ 開高健」)
旅先での開高氏の食の風景はどんなだったのか。
「目の下に汗をためて、汚れようが何しようがただひたすら食っていた。何か探さないといかん、そういう気がしてしょうがなかったね」(高橋曻)同じ食卓で開高氏と一度でもいいからご飯を一緒に食べたかった私としては、「何か」はすごく知りたいことである。
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食べ物へのギトギトの探究心
開高氏の食べっぷりを見て、高橋さんはいったい何を感じたのだろう。 「この食べ物は一体何や!? というとことかな」
高橋さんに言わせると、「なんや!?」という驚きつつクエスチョンを投げかけるのが開高流。!?がつく食べ物の核心に迫らないと気がすまない、ギトギトの探究心があったのだという。
すさまじい迫力に高橋さんがあてられてしまったのが、スリランカのカレー事件だった。旅は釣りでなくて、「玉」(宝石)の取材が目的だったが、現地に着くと開高氏はスタッフ全員を前に「朝昼晩毎日カレーを食べ続ける」と宣言した。宣言は本当にスリランカを離れるまで実行され、スタッフ全員が、口から火が出るくらい辛いカレーを毎日食べ続けなくてはならない羽目になる。そして最後の日、開高氏はみんなにこういった。
「カレーはわかったでえ」
次に何を言うか楽しみにしていた高橋さんは、「カレーはスパイスや!」という開高氏の結論に呆然とする。「あんまりあっけなくて。でもその言葉の中に、スパイスの背景にある戦争や貿易の歴史とか、フレッシュなスパイスが取れるスリランカの風土、人によって違うスパイスの調合のノウハウとか、僕らにはわからない深い理解があったのかもしれないなと思って納得してしまった」とことんやらないと気がすまない開高氏の気質がよく出ている。
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魔味を文字に置き換えたい
「知らないものを口にしてみたい」という欲求も、高橋さんは開高氏からびんびん感じたという。「およそ人類が食べている珍なるもの、奇なるもの、魔味というものを口にして、舌で味わって、文字に置き換えたらどうなるかやってみたかのではないかなあ」当時のグルメが追っかけていたのはキャビア、フォアグラ、トリュフなどの超高級品だったが、開高氏は違ったという。もちろんそういう超高級品にも氏の関心はあっただろうけれど、食を三角形にたとえると、開高氏がひきつけられていたのは三角形の裾野に無限に広がる食べ物だったと高橋さんは考える。
「頂点を突きつめて行ったら限界があるでしょう。でも三角形の底辺はもう無限大。こんなものよく食ってるなというのを食ってみたい、表現したい、面白がってみたい――そっちの方だと思う」
開高氏は人をびっくりさせるのが大好きだったが、自分でもビックりし、喜びたかった人だと思う。面白いなと思った食べ物にはどんと突っ込んでいったのだろう。私が驚かされた例のベトナムの孵化しかけのひよこを、現地の人のやり方で食べてみる、というのもその1つかもしれない。
「グルメは味だけ求めているけど、先生の興味はもっと広い。皮膚感覚に近いんじゃないかな。ほとんど見すてられてしまうようなものにもスポットをぽんと当てて食らいつく。地球に住んでいる人が食べるいろんなものを、理解しようというより、体感したかった。おいしいかどうかは食ってみないとわからない。開高文学と同じ体験文学だね」
また、食べるときに、自分の過去、現在、自分を照らし合わせて食べていたのではないかというのも高橋さんの強い思いだという。
開高氏のひいきの店の1つに中華粥だけを食べさせる店が東京にあった。「おかゆはな、カウンターで食わないで、壁の脇でこう食ったほうがうまいんや」開高氏はそういって、しゃがんで食べていたという。
「ベトナムの経験が一緒になっていたんじゃないかなあ。食べているときに鉄砲の弾がポーンと飛んくるんじゃないかとかね。物を食うとき、目の前のものだけを食っていたのではない。先生は全人格で、すべての過去も一緒に食っていたような気がする」
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1つおいしいものがあればいい
作家先生というと、みんなに大事にされ、思い通りにぜいたくに、わがままを通してしまうというイメージを持ってしまうが、高橋さんは開高氏にはけしてそんなことはなかったという。
「旅先でもね、何かもってこいとか、何か買って来いということはなかった。金に飽かしてもの食うなんていうむちゃくちゃは言わなかった」
お金の多寡で食べ物を見ない。むしろ、その場面で一番うまいと思えるものを食えればいい。そういう感覚の持ち主であったらしい。
釣りの旅の食事はスタッフの自炊が基本だった。やがてそれに飽きて料理人を連れての旅になるが、どちらにしても、釣った魚やもらった野菜など、そのときその場にある食材を使って食事は作ることになる。スタッフが作るときは当然だが、料理人の場合だってできの悪いこともある。しかし、開高氏は人が作ったものをまずいといったことは1度もなかったという。
旅先でスタッフがそろって食堂に出かけられるのは、釣りの前後の準備や片付けの期間だったが、そういうときに開高氏がこだわったのは中華料理だった。
「中華というのはどんな辺境にだってある料理でしょう。どこにいってもチャイナのチャの字に敏感に反応していましたね」
町に着いて中華料理のベストワンを見つけるのが、高橋さんたち一兵卒の仕事だった。
「探しに出かけるときに先生からお達しがあるの。こういう店を探してこいって。みんなハーイって言って出かけるわけ。まずいといわれたどうしようって探すときは結構緊張したけど、先生の言うとおりにすると間違いはなかったね。うれしそうに食べる先生の顔をみるとホットしたね」
・店の構えが立派でないこと(赤い柱やちょうちんがぶら下がった店はだめ)
・お客に中国人が多いこと
・テーブルにさわったらベタッという感じで油がついていること
・そいつを食った方がおいしいと思えるシェフがいること
以上が、開高氏のお達しだった。
「先生、見つかりました!」
「どれどれきみたちの嗅覚は成長したかな」
みんなで見つけたばかりの店にいそいそと出かけることになる。たいてい朝食抜きで、しっかりお腹を減らして昼の飲茶にトライする。
「ワゴンで飲茶が来るでしょ。6人だと蒸し器に2つ、3つ頼めばいいと思うけれど、先生はシューマイは海老とふかひれに豚、ショーロンポーに豚の耳、トリのアンヨもとつぎつぎ注文し、すべて蒸し器に4つずつ!って頼むんです。およそ人間の食う量の範疇をこえていた。でもうまいから食え食えっていわれて、食べてました」
店がおもしろいと思ったら、徹底的に昼夜・昼夜と通いつめる。
「最初の日には知っているメニューを頼んでみる。2日目は1日目とまったく違うのを頼む。3日目は2つあわせたメニューで締めるという感じでしたね」
注文がくると一皿ずつ、煮方がたりない、味が絡まってない、同じものでもうまかった、でもこれはうまくいってるといろいろ感想を言う。料理は全部うまいということも、全部まずいということもないというの開高氏のスタンスだった。「おいしい」ものが1つでもあれば喜んだ。
「プリミチブなところに真実はあるんやで。ほんとにうまいとこ探すにはチャーハンや。どのレベルかすぐわかれるでとよくいっていましたね」
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関心ないものには冷酷
つい最近、高橋さんは開高氏が大好きだった食べ物をめぐる雑誌の仕事で大阪と三重に行った。大阪ではジャンジャン横丁で、名物の土手焼きを食べた。牛や豚の腱をくず肉と一緒にコトコトと味噌で煮込んだざっかけな食べ物である。そこでしこたま飲んで高橋さんが翌日向かったのは、三重県松阪の和田金。上等の霜降り肉ですき焼きを楽しんだ。そのときふっと開高氏のことを思ったという。
「土手焼きと和田金の肉と、先生はどっちを喜んだか。僕はなんともいえないと思いましたね。楽しんだ方が勝ちだもの」
高橋さんが食について開高氏から教わったことの1つが、自分の財布で食えということ。「先生の教えを忠実に守ってるおかげで金がたまらないよ」というけれど、食へのたしなみをあらわしていていいと思う。ちなみに、開高氏は関心のないものには、冷たいと思えるくらいの態度をとったという。
「ロスにいったときある人が『オーパ!』(びっくりしたときに使う)といってもらえる場所に先生をお連れします』といって、ディズニーランド、ウィンチェスターハウスや大金持ちの城のような家に案内してくれた。ところが先生は、ぴくっともしないし、説明も聞かない。ぼーっとしたまま、あっという間にベンチに座ってじっとしている。ある意味でしらけていた。どれも金があったらできること。人のやることの限度を知っているんですね」
「タハ、オモチロイ」開高さんの本に出てくるこの表現が私は大好きだけれど、開高氏からこの言葉を引き出せるのは、生の人間を感じさせるものなのだろう。食の三角形の頂点の王様の食事から底辺で無限に広がる食と、それにかかわる人たち、文化、自分の今と過去を重ね合わせて、そこに人間を感じ、面白がっていたのだろう。
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1.ドキドキ感を大事にしよう
開高氏というとグルメと思っていたが、ただのグルメでないのがかっこよさだ。食の三角形の頂点にある高級品だけでなく、底辺に無限に広がる食べ物に好奇心を持って挑み、確かめ、気に入ったものを開高氏はどんどん自分の中に取り入れていった。味だけでなく、その土地の風土、暮らしや文化への驚きを発見する知的な冒険として食べ物に向かっていくと、日常生活も旅ももっと楽しくなる。
2.味は値段できまらない
味は値段の多寡じゃない、自分がうまいと思ったものがいい、というのが開高氏の生き方。「カニ」と「イワシ」は値段の開きが大きいけれど、開高氏の食のエッセイを読むと、おいしさの輝きについては同等で描かれている。今は「グルメ本」ばやり。有名店のあれを食べたと、人のお勧めを追体験するのもいいけれど、食のブランドより、自分の体験を大事にした開高氏のやり方を見習おう。海、山、平地、四季の変化とバリエーションいっぱいの日本のあちこちに、きらっと光る食べ物はいくつもある。
3.一緒にごはんで盛り上がれる友だちを広げよう
おいしさは味だけじゃない。誰がつくったか、誰がサーブしてくれるか、誰と食べるか、という人の存在の重要性を開高氏は知っていた。「人間関係を食っていたのかもしれない」と開高氏と親しかった人たちはいっている。あの親父に会いたいからあの店の鍋を食べに行くのであって、どの店でもいいのではない。気のおけない仲間と盛り上がる「モツ煮」の方が、気取って食べる「松阪牛のすき焼き」よりおいしいかもしれない。体調の悪そうな顔を見て、そっとカレイの煮つけを出してくれる近所の飲み屋は宝物になる。社会学者の研究によると、人づきあいがいい人ほど、楽しく長生きするそう。ごはんを一緒に食べるのが楽しい友達、行ってほっとする食べ物屋を広げておこう。
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コメント
「カレーはわかったでぇ!」次の言葉を待つ人々、「カレーはスパイスや!」唖然とする人々。受けました。楽しい人ですね。
投稿者 成瀬純一 : 2007年03月05日 11:26
大食漢な私としては、開高さんの食に対する考え方が良くわかります。基本的に食の細い方は、何かエネルギーが足りないように見えます。偏見でしょうか。
いずれにしても、A級・B級に関係なく「おいしい物」と友と酒があればこの夜は満足・・・・
投稿者 児玉 朔太郎 : 2007年03月05日 13:29
開高さんの食に対峙する全人的エネルギー、独自性には圧倒され続けました。ボリュームは抑えて、”楽しみ方極意”を実践したいと思います。
投稿者 四季の風 : 2007年03月29日 16:36
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