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第十三回 ヤングアスリートの登竜門・全国高校総体

(文) スポーツジャーナリスト・白髭隆幸
協力:SPORTS 21
 

8月1日から25日まで、大阪を中心とする近畿2府4県で全国高校総合体育大会が開催されています。高校時代に部活でスポーツをやっていらっしゃった方の中には、「インターハイ」に参加された方も多いと思います。運の良い方は県大会、地域大会、そして中には全国大会まで進まれた方もいらっしゃるでしょう。

ラグビー部に所属していたわたしは、高校総体には参加できませんでした。ラグビー、駅伝、スケート、スキーなどウインタースポーツは、独立した大会が冬に行われるからです。今年の夏の競技は、カヌーだけ山梨県でしたが、その他の28競技は近畿の6府県での開催です。

昭和38年(1963年)、それまで競技ごと全国各地でバラバラに行われていた全国高校選手権が、まとまって同地域で行われる総合体育大会に生まれ変わりました。それによって国民体育大会と並ぶ日本最大のスポーツイベントが誕生しました。総合開会式も実施されることになり、ふだん、あまり交流のない他競技の愛好者とも触れあう機会ができたのですが、これが総合体育大会の良いところです。

それ以降、日本を「東(北海道・東北・関東)」「中(北信越・東海・近畿)」「西(中国・四国・九州)」の3ブロックに分けて、原則的には 「東」「中」「西」の順で開催されています。今年は「中」の近畿、来年は「西」の佐賀・福岡、再来年は「東」の埼玉を中心に開催されることが決まっています。

わたしは、30年前から発行されている『高校サッカー年鑑』(全国高体連サッカー部編、講談社刊)の編集に関わっている関係で、28年前の福島総体(昭和53年度)から取材しています。途中、バルセロナとアトランタの2度のオリンピックの年には開催時期が重なっていたため2回お休みしていますが、今年まで27回、真夏の若人のスポーツの祭典を見守ってきました。

現在、日本で活躍しているオリンピアンのほとんどが、インターハイに出場していると思います。まさに高校総体は、日本スポーツの登竜門といっても過言ではありません。

わたしも昔は、専門のサッカーの他にも、時間がありさえすれば陸上競技、水泳、バスケットボール、バレーボール、バドミントン、ボクシングなども取材に出かけました。なにしろ総合体育大会。サッカー会場のお隣の体育館でいろいろなスポーツをやっていることもあります。スポーツ好きにはこたえられない取材三昧がができるというわけです。

ちょっと、ここのところ年をとって、体力的にサッカーだけを取材するのがやっと、という状態になってしまいました。やはり若さに任せて後先考えないで取材していた頃がなつかしいく思い出されます。

高校総体、とくに中心に取材してきたサッカー競技最大の思い出は、15年前の平成3年度の静岡総体です。サッカー競技の場合、参加校の多い北海道、東京、埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪と開催県は2校出場することが許されます。静岡はサッカーが盛んな土地柄。史上初の同県代表の決勝対決が期待されたのです。

総合開会式で、参加選手を代表して選手宣誓をしたのは、静岡第1代表・清水東高校主将の斉藤俊秀くん。そう、元日本代表、現在でも清水エスパルスで活躍している斉藤選手。地元・静岡のサッカーに対する期待の高さが窺えました。

かくして静岡第1代表・清水東は、1回戦不戦勝、2回戦は境に4‐0、3回戦を田辺に7‐0、準々決勝は帝京に4‐1、準決勝は市立船橋を延長戦の末2‐1で決勝戦に進出しました。

静岡第2代表は伊東輝悦(元日本代表、清水エスパルス)、服部年宏(元日本代表、ジュビロ磐田)を擁する東海大一(現・東海大翔洋)。東海大一は1回戦こそ水口に1‐1の引き分けでPK方式4‐3の結果、勝者扱いとなって、2回戦は5‐0で大社を破り一気に調子に乗りました。3回戦は武南を3‐1で、準々決勝は国見に3‐0、準決勝は四日市中央工に2‐1で競り勝ち決勝に駒を進めました。

この年の四日市中央工には「レフティーモンスター」と呼ばれた小倉隆史がいました。小倉は後年、足の負傷に悩まされ大成しませんでしたが、当時は高校生レベルを越える選手。カミソリのようなプレーというより、大ナタでDF陣を切り裂いて行くようなプレーぶりは、希有な選手でした。最近はTBS系のサッカー番組で解説などしていますが、わたしが30年間高校サッカーを見てきて5本の指に入るプレーヤーだと思います。

決勝対決は、高校総体サッカー史上初(それ以降41回を数える総体サッカーでも唯一)の同県勢同士で、1991年8月8日、日本平球技場でおこなわれました。

前半17分、東海大一はDF杉山のクロスをFW岩下がヘディングシュートで先制。しかし清水東も前半終了直前33分(高校総体サッカーは35分ハーフで実施)にFW田島のセンタリングをFW斉藤賢二がシュート、試合は振り出しに戻りました。

試合途中で肩を負傷した清水東の斉藤俊秀主将は、1970年ワールドカップの西ドイツのベッケンバウアーのように包帯で腕をつって奮闘。1‐1のまま試合は10分ハーフの延長に。

そして、そのまま両校優勝(当時の決勝戦ではPK方式は行わず両チーム優勝になった)かと思われた延長後半8分、こぼれ球を清水東のFW田島がクリーンシュート、2‐1として試合を決めました。

まさに「真夏の死闘」。清水東は4度目の総体制覇を成し遂げました。名将・勝沢要先生から監督の座を引き継いだ若き膳亀信行監督は、初の全国制覇を地元で成し遂げました。総体開催県の優勝も、総体サッカー41回中に昭和50年度の山梨・韮崎、平成3年度の静岡・清水東、そして平成15年度の長崎・国見の3回しかありません。まさに快挙といもいえるもので、27回取材した高校総体の中でも印象に残る大会でした。

今年度の大阪、サッカー競技では広島観音が優勝しました。これまた、埼玉、静岡とともに「サッカー御三家」といわれる広島としては7年ぶり2度目の快挙です。

来年のサッカー競技は、佐賀県だけではグラウンド施設が整わず、福岡県と共催されることになっています。1つの競技が2つの都道府県にまたがって行われるのは極めて異例のこと。(わたしが知る限り3年前の長崎総体時、水泳の飛び込みだけ佐賀で実施したことが唯一の例)。この大会もぜひ現地で取材したいと願っています。

いずれにせよ、真夏の太陽の下、若人が懸命にプレーするのを取材することは楽しいことです。この楽しみ、まだまだ手放したくはないと思っています。



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