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第三回 Jリーグのルーツ 日本サッカーリーグの誕生

(文) スポーツジャーナリスト・白髭隆幸
協力:SPORTS 21
 

今年もサッカーJリーグが3月4日に開幕しました。4年に一度のワールドカップイヤーに当たる今年、FC愛媛を新メンバーに迎え、J1が18チーム、J2が13チーム、計31チームがJリーグに参戦しています。 1993年にJリーグが誕生した時は、たった10チームでのスタートでした。それが、わずか14年で3倍以上のチーム数にまで発展したのは驚きです。

国民的スポーツといわれるプロ野球は、わたしが物心ついた時分から12チームで行われていました。現在もあい変わらず12チームで行われていますから、それに比べてサッカーの発展ぶりは「脅威」と表現してもよいでしょう。

そのJリーグのルーツともいうのが1965年に誕生した「日本サッカーリーグ」でした。
それまでの日本のサッカーは、ノックアウトシステムのトーナメントか、チーム同士がゲームメイクする対抗戦システムが主流でした。全国的規模で、似通った実力を持ったチームが集まり、総当たりで覇を競うという発想は、当時の日本にはありませんでした。

このリーグの生みの親は、なんとあの日本サッカー界の恩人、デッドマール・クラマー氏だったのです。クラマーさんは1960年、4年後の東京オリンピックで地元の日本チームが恥ずかしくない成績を残すため、当時の野津謙日本サッカー協会会長(故人)がドイツから連れてきたお雇い外人コーチでした。

なにしろ当時の日本のサッカーは超マイナースポーツでした。唯一の華々しい活躍は1936年のベルリン・オリンピックで優勝候補だったスウェーデンを3-2で破り「ベルリンの奇跡」と賞せられたことくらい。ただし、スウェーデンに勝った次のイタリア戦で日本は0-8で敗れています。

戦争で活動を中断された日本サッカーは、アジアでもインド、香港、フィリピンなどにも後塵を拝する最弱国になってしまいました。そこで、なんとか日本サッカーを立ち直らせるために、ドイツでも一流のコーチであったクラマーさんの指導に期待したのでした。

1964年、東京オリンピックの本番で、再び日本サッカーはベルリンの再現を成し遂げます。長沼健監督、岡野俊一郎コーチ率いる日本代表は、優勝候補のアルゼンチンを3-2で破りベスト8入りを果たしました。この試合、決勝の逆転ゴールを決めたのは現在の日本サッカー協会キャプテンの川淵三郎でした。メンバーは、GK横山謙三、FB片山洋、山口芳忠、HB八重樫茂生、鎌田光夫、鈴木良三、小城達郎、宮本輝紀、FW川淵三郎、釜本邦茂、杉山隆一。そうです、このメンバーが4年後のメキシコ・オリンピックの銅メダルの主力になるのです。

東京オリンピック後、コーチの任を解かれたクラマーさんは日本を去るにあたり、三つの提言を残しました。
「トップリーグを作り戦力の向上を計ること。日本代表チームを恒常的に編成し強化すること。そして国際交流を活発にして世界のサッカーを常に意識すること。」そのトップリーグを実現したのが日本リーグでした。日本のアマチュアスポーツ界で全国規模のリーグ戦を立ち上げたのは、サッカーが初めてでした。

当初は大学チームも日本リーグに参加する予定でしたが(1966年の天皇杯は早稲田大学が優勝するほど当時の大学チームのレベルは高かった)、結局見送られて実業団8チーム(東洋工業、八幡製鉄、古河電工、日立本社、三菱重工、豊田織機、ヤンマー、名古屋相互銀行)でスタートすることになりました。

東京オリンピックの時に完成した東海道新幹線(東京~新大阪)もおおきな役割を果たしました。試合ごとの移動が飛躍的にスムーズになったのです。全国規模のリーグ戦にはインフラの整備も必要でした。

今となっては信じられないことですが、当時は広島の国泰寺高校グラウンドで首位攻防戦の八幡製鉄vs.東洋工業戦が行われたこともあります。その試合、わたしはテレビ中継を見た記憶がありますが、テレビ中継が頻繁におこなわれたこともサッカーの普及に役立ったと思います。

10月10日、7勝2分け同士の対戦になった八幡製鉄vs東洋工業の一戦は、本来なら八幡のホームである北九州で行われる予定でしたが、東京オリンピック一周年記念事業として国立競技場で開催されました。この試合に、なんと4万人もの観衆が集まったと記録にはあります。大観衆のなかでくり広げられた試合は3-2で東洋工業が勝ち、おおきく初代チャンピオンに近付き、その勢いでタイトルを握りました。

東洋工業は、この年から空前絶後の4連覇を記録。そして翌年に杉山が三菱重工に、2年後に釜本がヤンマーに加入。3年後のメキシコ・オリンピックを目指して、日本リーグが銅メダルの原動力になったことには間違いないでしょう。

日本のサッカーは、メキシコ・オリンピックのあと一時低迷しますが、日本リーグは日本サッカーのトップリーグとして休まず開催され、1992年にJリーグへと発展的に解消されます。東洋工業はサンフレッチェ広島に、古河電工はジェフ市原に、日立本社は柏レイソルに、三菱重工は浦和レッズに、ヤンマーはセレッソ大阪にチーム名を替え、現在でもJリーグで活躍しています。現在の日本サッカーの隆盛は、日本リーグの誕生が大きく役立っていることは紛れもない事実です。

35歳で来日したクラマーさん、現在80歳。お元気でドイツ・ワールドカップに日本代表が来独することを楽しみに待っていることでしょう。

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