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1.釣魚人の巻 

 
(文)エッセイスト・池田佳代
 
開高健の美学には、トランジットライフをハッピーにする
秘密とノウハウが詰まっている。
 

「釣りの話をするときは両手を縛っておけ」



「釣り師はホラを吹く癖がある。それも釣り技のうちに入れていいのではないかと思われる。私も例外ではない。──一方そのために腕が上がるということあったはずと思いたい」

[証言]

「ご存知だと思いますが、ロシアの有名な諺に「釣りの話をするときは両手を縛っておけ」というのがあ る──つまり話しているうちに両手の間がだんだん大きくひろがってくるわけですよ。開高さんにしたっ てそんなに大きなパイクを釣ったわけじゃないと思うのだけど、だんだん両手が広がって来る。私は私で 当然両手の広がりは大きくなる一方で、しまいには互いに1メートル以上の魚を釣ったかのような話になっ てしまいましてね」
「開高さんが残してくれたさまざまな言葉、いわゆる開高語録にはいつも感銘していました。「悠々とし て急げ」もすごく奥の深い言葉だと思うんですが、なかでも私が一番好きなのは「釣り師には心に傷があ る」という言葉」『ごぞんじ』2005 年より
(常見忠さん。日本のルアーフィッシングの魁。「フィッシュ・オン」、ビデオ「河は眠らない」でアラスカ取材に開高氏に同行)


秘密基地に並ぶ川魚の剥製たち
 
秘密基地に並ぶ川魚の剥製たち開高健氏の広さ10畳ほどの畳の書斎。ここには彼のお気に入りのものが集結 している。部屋でひときわ目をひくのは、天井近くのすべての壁面に飾られた立体の魚 である。とにかくみんな大きい。ものを飾るときは、ホワイトスペースを作った方が引き立つし、しゃれてるのにと思うが、まったくそんな配慮はない。どうだどうだ、と1匹ずつが主張している。木彫りに色を塗ったでっかい魚をよくまあいっぱい飾ること、と感心していたら、これ実はぜーんぶ剥製だった。

特等席を陣取る魚は異彩を放つ。トロフィーサイズのマスキー(サケの一種)。 ルアーを加えてジャンプした瞬間のポーズで天井を仰ぐ。釣りを始めて11 年目、特大のキングサーモンを追う『もっと遠く!』の北米取材で訪れたカナダ・オタワ市のどまんなかを流れる河でしとめた。アラスカから北米に入って2カ月、 証拠写真付きで本に紹介できる釣果はまったくない。連戦連敗の釣りで、開高本人はもちろん取材班全員に暗雲がたれ込めていたところに訪れたどんでん返しの勝利だった。

最初の釣りばなしは、ミミズから



1979 年9月21日。金曜。ビッグなマスキーの重さは30ポン ド(約14 キロ)で長さは1m30 センチくらいはある。「オタワの奇跡」と開 高氏は呼んだ。この人、本当に大きな魚が好きだったんだなあとつくづく思わされた。




最初の釣りばなしは、ミミズから

開高健氏は小説家としての仕事以外で、多面体的趣味と好奇心を持つことで知られている。その中で突出しているのが釣りである。 きっかけは、書き下ろしの仕事をすわったきり何カ月もしているうちに( 「当時ベトナム戦争を題材にしていた「輝ける闇」を書いていた」)、足や腰から力が抜けて、萎えたようになって、健康のために少年時代に熱中していた 釣りを再開してみようと思ったことだった。1968年、38歳のときである。編集部に釣り紀行をかきまっせ、と話を持ちかけて、月1度のペースで釣りを仕事にして実行に移してしまうのが彼らしい。最初の釣りばなしは、ミミズから

連載はミミズつりからはじまり、タナゴ、コイとほのぼのとした話がつづく が、わずか5 カ月後、北海道で大きなイトウをしとめたこと(ビギナーズラッ クですね)で火がつき、ただのお遊びあるいは運動から、本気に変わっていく。 亡くなるまでの釣りへの熱中と没頭の結果は、みなさまごぞんじの「フイッシュ オン」「オーパ!」をはじめとする名著につながっていく。






自分でポイントを探す山釣りの方が絶対に面白い

自分でポイントを探す山釣りの方が絶対に面白い開高氏の釣りの楽しさは、釣る以前のアプローチから始まる。とことん勉強しまくって、頭の中から釣りのプロになってしまうことである。これは、何も釣りに限ったことではなくて、食、酒、パイプ、玉など没頭した趣味ではすべ て同じようなことをしていたようである。エネルギーの突進が深いのである。

釣りにはいろんなカテゴリーがあるが。氏の場合は完璧な「山釣り」派、彼流にいうと「川師」である。「海釣りの好きな人と山釣りの好きな人とではおたがいにソッポを向きあっているものだから容易に握手ができないという説をときどき聞かされる」といい、「ポイントを船頭に任せる海釣りより、ちょこまかしても自分でポイントを探す山釣りの方が絶対に面白い」というのが理由である。さらに、「釣りをすると、今まで見えなかった川や、湖のことが実におびただしく見えてくる」とも。

開高氏ほど本格的ではないけれど釣りは山に限る、と思っている私は、開高氏の文章を読んで嬉しくなってしまう。川をめざしてハックルベリーフィンみ たいに森や林をかき分けて進む快感、川の水音が聞こえたときの興奮、川に立ち、ここぞポイントというところでおちゃっぴいのイワナと対面する喜び、山 釣りの楽しみはまだある。初夏はブナやトチノキの新芽や山菜、夏はあふれる緑と慎ましく咲く花、秋には色づいてジューシーな山の実や図鑑を広げたように多様なキノコを、釣りつつ歩きつつ楽しめる幸福。広い海にただ釣り糸をた れるだけの海釣りより、絶対奥が深いと思う。

貴族ランクの最高の釣り師は擬餌針を使う

貴族ランクの最高の釣り師は擬餌針を使うかれは、釣りをスポーツとして楽しみ、日本にはなじみのうすかった「ルアーフィッシング」や「キャッチ・アンド・リリース」に徹し、大いに釣りの哲学を広めた功績がある。「釣り師は芸術である。芸術とは自然にそむきつつ自然に帰る困難を実践することであるから必ずや、擬餌針を専攻にしなければならない」というのが 「ルアーフィッシング」に徹した理由である。

さらに、「釣り師には4階級あるという。最低は百姓で、これはミミズを餌 にして魚を釣り、しかも穴場を人に教えようとしない釣り師であり、あと2階 級それぞれあり、最高は“貴族”」といい、自分で疑似餌を手製してから川へ出かける釣り師こそ品格精神とも最高と評価する。

さらに「釣りはスポーツである。釣りのための釣りである。釣った魚は大小かまわずみなのがしてやるのだ。だからびくは持っていかないし、手綱をもっていかないのである」。貴族の道を選んだ開高さんとちがって、餌はミミズ、ブドウムシ、石の下にいる川虫で楽しむ私の釣りは階級の低い「百姓釣り」といわれるのはかなり不満であるが、キャッチアンドリリースは共感する。開高氏の本を読む前から渓流に通いだしたから、けして彼の影響を受けているわけではないのだが、20センチ以下のイワナはすべてリリースする。イワナがちゃんと大人になるまで成長させてあげるのは釣り師の義務という私のにらみがきいて、イワナ釣りの師匠も兄弟子もリリースするようになったのをほこりに思っている。

思い定めたポイントを徹底的に責め続ける

思い定めたポイントを徹底的に責め続ける獲物に対するスタンスとしてかれを際だたせる特徴は「大物ねらいのタフな 釣りを好んだ」点であろう。大きさへのこだわりは、書斎の壁に並ぶ川魚の剥 製たちの存在で証明ずみである。

ただ、魚とのバトルで開高師氏が常に圧倒的な勝利を得たわけではない。いつも彼は目標を定めて釣りで海外遠征したが、アマゾンではビラルクーに完敗、 しかしトラドは完勝(90センチ)、北米ではキングサーモンに失敗したが、マスキーでは勝った。勝ったり負けたりしながら釣りつづける。「ホラを吹くの も釣り技の1つ」と開高氏は書いているが、ビッグを追い求める野望が彼の釣りのエネルギーになっていた。彼の最後の釣り場はモンゴルだったが、120センチのビッグなイトウを釣って夢を実現する。「円は完全に閉じました」。釣果の満足をこう表した。

私が開高氏の釣りで一番興味を持ったのは、釣りの時間の過ごし方である。 「ここぞ!と思い定めたポイントを徹底的に責め続けるのが小説家のスタイ ル。つまり粘り一徹の釣りだ。この粘着質が、不思議と最後の最後に劇的サヨナラヒットを呼び込む」ビデオで見た開高さんの釣りがまさにそうだった。大きなゆったりした川に ボートを浮かべ、同じポイントでずっと釣り糸を垂れ続ける姿があった。たぶん、朝から夕方までこうだったのだろう。本物の釣り師は泰然と釣る。 もっともこれには理由があると思う。ビッグな魚は、大きな川や湖にしかい ない。そういうところでないと、大きく育つための餌がないからである。大物 と出あうためにはちょこまかすべきでない、というのがあ???????佼h????8??るのだろう。イワナ をもとめて、山奥の川を下から攻め上げ、誰よりも早く釣り針が落とされてい ないポイントにたどり着くために、川に転がる岩の上を猿のようにひょいひょい飛んでいく私には、とっても開高氏の釣りの作法はまねができない。

「ルアーフィッシング」は西ドイツで覚えた

「ルアーフィッシング」は西ドイツで覚えた「小説家は師匠はいらないが、釣りをやるならいい師匠を捜せ」。開高氏は、本業で師匠と仰ぐ井伏鱒二師にこういわれた。さて、開高氏のツアー釣りの師匠は誰だろう?

常見忠さんと多くの人は答えるだろう。日本のルアーフィッシングの魁となっ た人である。開高氏は釣りを再開した1968年の5月頃に、常見氏の書いた小さ な記事に興味を持って教えを請う手紙を書く。その年の11月に缶詰になっていた出版社の宿舎で常見氏との念願の会見を実現させ、本格的にルアーフィッシングに没入していくことになる。

しかし、開高氏は「私はルアーを西ドイツでおぼえた」と書いている。「西ドイツの釣り道具屋で教えられて、バイエルンの高原で試してみた。1人でド イツでやったから、これがホントの独学」と付け加える。この話はエッセイによく登場するからよほど嬉しかったのだろうが、これはいつのことだったのだ ろう。

ルアーとの出会いと作ったのはガールフレンド

先日、久々に氏の小説を読み返した。氏の文学の頂点といわれる『輝ける闇』 から『夏の闇』に移ったとき、はたと文字の中で立ち止まった。あるではない の、西ドイツのボンで釣り屋のオヤジとの出会いが。
でも釣りのエッセイの内容とはまったく違う。初めてのルアーは1人でやっ たのでも、1人で楽しんだのでもない。彼を釣り屋のオヤジに引き合わせたの は、小説の主人公の恋人で、ドイツで博士課程の論文を書き上げたばかりのうんと年下の研究生。彼女と一緒に川に出かけている。『夏の闇』は自伝的な小説といわれる。小説の主人公はどうみても開高氏。小説は架空であり、現実であるが、ルアーフィッシングと開高氏の出会いを作ったのはガールフレンドに違いないと思ったのである。

開高氏の年表をチェックしてみた。1968年5月にパリにいき、そこから西ドイツに向かい1カ月くらい滞在したあと、ベトナムに向かっている。『夏の闇』 の主人公も同じように移動している。そんなとき、開高氏と親しかった菊谷氏の講演記録「開高健のいる風景」(『ごぞんじ開高健』)を読む機会があり、小説に登場する女性ときわめて近い人が実在していたという記述を見つけた。『夏の闇』を書き出したのは1970年頃といわれるが、その時期に女性は交通事故で亡くなっていたとも書いてあった。『夏の闇』は、彼女への鎮魂歌というもう一つの側面があったのかもしれない。開高氏は「釣り師には心に傷がある」と釣りの師匠常見さんにいったそうだ。その言葉がグイと胸に刺さった。


さあ実行しよう!開高健的世界の楽しみ方極意 


1.熱中するもので部屋を飾ろう

自分が好きなモノで囲まれた空間は、そこにいるだけで幸せである。
開高氏は、書斎の壁の回りをビッグな釣果の剥製で飾った。ここで氏は、一人であるいは編集者、友人と機嫌良く酒を飲んだ。
ある人の証言によれば、天井には世界地図があって、出かけた川をプロットし、執筆の合間にゴロンと寝転がったときながめていたらしい。
思いの詰まったモノたちは、それを手に入れたときの瞬間だけでなく。それまでのプロセス、その場に立ち会った人、飲んだ酒、出た会話をよみがえらせてくれる。次の行動につながっていくはず。

2.準備段階から楽しもう

遊ぶなら深い方がいい。遊ぶ前に勉強しまくる開高氏のやり方で、釣りは確実に中身が深くなっていった。興味のあるモノが表れたらとことん調べる。開高氏の場合、釣り以外にも次々と表れる興味の対象に、同じように対応していたことが、話題の豊富さと、仲良くなる人の範囲を増やした。
出かける前の準備も楽しもう。開高氏の場合、行き先、釣る魚をイメージして、釣り道具は完璧にそろえた。几帳面な彼の釣り道具箱は、いろいろなアイテムが美しく分類され納められていた。おしゃれだった氏はファッションのチェックも怠らなかった。帽子は、バンダナは、パンツは、ジャケットは、色、メーカーいろいろ考えてそろえていったそう。釣りの3日のために30日の準備期間も楽しむ。これがいい

3.その世界に通じたガールフレンドを持つ

開高氏が西ドイツでルアーに出会えたのは、推測にしか過ぎないが、どうやらガールフレンドのおかげらしい。小説の中の彼女はドイツ語にたけていて、開高氏らしき主人公の求めに答えて、徹 底的にルアーについて調べ、歩き、いい釣り道具やのオヤジに引き合わせる。
一芸に秀でた人、ある分野に熱中している人をガールフレンドもつことは、あなたの楽しみを確実に広げる。
うまい蕎麦でうまい酒を楽しみたい、「お茶」をかじりたい、オペラを聴いてみたい──そういうときは、その筋で詳しい人と一緒に楽しんでもらうことである。得意なことについて人は教えてといわれて悪い気はしない。
レッスンを受けるときには準備から楽しんでしまおう。あなたが「仕事人」として活躍した現役時代の経験が大いに役立つ。接待、仲間と行った店を思い出し、テーマにあわせて、話を聞くレストランや居酒屋、メニューを決めていく。お金をかけることはない。あなたのテイストが出せて、楽しかったという演出効果が出せればいい。
トランジットライフを楽しむために、色恋関係ないところで、しゃれたレッスンとデートができる相手を何人持てるか、それも人生の楽しみなのである。
取材協力 : 開高健記念館

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