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第五回 上海人の自信



 
(文)上海工商外国語学院 客員教授・中本 洋
 
留学した上海の大学の校内で上海人の女生徒と散歩していたとき、周りを歩く大勢の学生を見ながら、彼女は突然私に「私達上海人は顔や服装を一目見ただけで、上海人か地方の人かはすぐ分かります」と誇らしげな口調で言い、驚いたことがあります。おそらく地方人はダサいというわけでしょう。私には全部同じ中国人に見えていましたが。また、私が受けていた中国語の授業中、上海人の若い男性の教師が「北京は上海の富のおかげで存在できるのだ」と言い、北京に対する敵意をむき出しにするのを聞いて、これも驚いたことがあります。また、東京にいたとき多くの中国人留学生に会いましたが、一般の学生は「中国人の○○です」と自己紹介するのに、上海人だけは「私は上海人です」と上海を強調していたことを奇異に思ったことがありました。今思えば、上記のエピソードといい、つまりは<上海人の自信>ということなのでしょう。

確かに多くの上海人と付き合っていると、頭のいいことはすぐ分かります。ただ、その頭ですが、北京人によれば「彼らは目先のことばかり考えている頭のよさ」だそうです。また、ある上海人のインテリは言い換えて「上海人は今の飯さえ食えれば満足し」「将来を見つめる雄大な理想がない」と嘆いていました。そのかわり、金儲けはうまいというのが定説です。前を見て進む、という意味の「向前看」という毛沢東の言葉をもじって、上海人は「向銭看」だと地方の中国人から言われています。「前」と「銭」は発音が同じですので、「金」ばかり見ているというわけです。はっきり言えば、上海人は地方の中国人から余り尊敬されていないのです。しかし上海人は平気で、「文句があるなら、金を儲けてみろ!」と反論します。「対岸の火事」ながら、両者の確執は中国を理解するうえのキーワードになるでしょう。

ある日、教え子の女子学生と話をしていたとき、結婚の条件の話になりました。勿論彼女は上海人です。「高学歴、高収入」という要求は当然でしたが、「もし、その要求を満たした男が北京人だったら?」と聞くと、彼女は「母は絶対許しません!」。
革命家・孫文は「中国人は乾いた砂のようだ。しっかり握り締めても、パラパラと指の間から落ちていく」と中国人の団結力のなさを嘆いていましたが、今、私にはよく理解できます。反対に中国人にとって、「日本人の団結力」は理解できないのかもしれません。
2006年9月待つ、上海に激震が走りました。上海市の書記・陳良宇氏が突然北京政府からすべての役職を剥奪されたのです。次期常務委員と言われた上海のナンバーワンです。長期にわたる部下と親族の腐敗を突かれたのです。江沢民総書記、朱容基総理大臣を生んだ「上海閥」が、遂に北京に敗れ去ったのです。北京政府からたびたび「腐敗分子を切れ」と言われながら、陳氏は頑として聞かなかったのです。それは「親族重視」の中国人の考え方であり、長年の「上海の自信」だったのでしょう…。

「上海人の自信」と言えば、次のようなこともあります。
ここ30数年、中国政府は「普通語」の普及に全力で努めてきました。学校や公共機関、テレビ、ラジオなどはすべて普通語で話されています。しかし、方言しか話せない中国人はまだまだ何億人といます。それで、毎年一定期間「普通語を話そう!」というキャンペーンが展開されているのです。ところが、上海では、上海人はすべて上海語を話しています。私にはチンプンカンです。勿論、「普通語」は通じるので生活には不便はありませんが。大学構内で学生が上海語で話しているのを聞いて、私はいつも「君達は中国の学生ではないのか。なぜ、普通語を話さないのか」と、憮然としてしてしまいます。遵法精神のなさに<上海人の自信>を見ることも出来ますが、狭い世界での<中華思想><井の中の蛙>を見るようで、上海人はとても世界に通用しないとも思うのです。


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