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第五回 断食修業のこと ~前編~

 
エッセイスト 中尾伊早子


はじめに

むかしむかし、日本の人々は、自然と共に暮らしていました。
おじいさんは山へ柴刈りに行き、おばあさんは川へ洗濯に行きました。
山には森があり、水が湧き、木の実やキノコ等の食べ物があり、植物は薬になるものもありました。木は家を建てる材木になり、火を焚く燃料にもなりました。
今のように、スイッチ一つで電気がつき、蛇口をひねれば水が出るという生活ではありませんでした。
 人間が生きるために必要なものを与えてくれる山=森にはきっと神様がいらっしゃるのだと人々は思いました。だから、田畑を耕す為に森を切り開いても、必ずその一部を残し、感謝をする場所として、長く守りつづけてきたのです。
 「鎮守の森」とは、そうして自然に生かされていることを知っていた古の人々の智慧によって守られてきた大切な場所です。
今も、全国に残る鎮守の森。
神社とはなんなのか、そこで行われるお祭りにはどんな意味があるのか…そこには、四季があって、自然豊かな国だからこそ生まれた〝日本がもっと好きになる〟物語がたくさん詰まっています。そんな物語を一つ一つ紐解いて、お伝えしていきたいと思います。


 

今回は3年前の3月26日〝結婚15周年記念〟に夫婦で断食修業に参加したときの体験談をお話しようと思います。

金峯山寺(きんぷせんじ)場所は、現在世界遺産となった奈良県吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)。『吉野山から山上ヶ岳(大峯山)に至る金峯山は、万葉の昔より聖地として知られ、多くの貴族が足跡を印している。白鳳年間(7世紀末)修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)がこの金峯山を道場として修行され、蔵王権現を感得し、そのお姿を桜の木で刻み、お堂を建ててお祀りした。これが蔵王堂であり、金峯山寺の草創である。以来、金峯山は、修験道の根本道場として広く万人に尊崇され、多くの修行者が宗派を超えて入山修行している。』(奈良ネットのHPよりhttp://www.naranet.co.jp/kinpusenji/

山の神様と一体になるという修験道の聖地での断食修業ときいて、心が動かないはずがありません。吉野・熊野が大好きな私にとって、桜の開花が近づいたこの時期のこの場所での断食修業でどんな体験が出来るのか、わくわくドキドキしながら参加しました。

3日間の断食は自主断食から始まります。
出発の前日(木曜日)の夜9時以降から水以外何も口にしてはいけません。当時夫はヘビースモーカーで煙草とコーヒーをこよなく愛する人でしたので、これにはかなり参った様子。集合は金曜日の午後7時。奈良の吉野山の上にある東南院というお寺です。こちらで寝泊りさせていただきます。この日ももちろん朝から水以外口にしてはいけません。会社勤めの人も、毎日と同じように仕事をしながら昼食を抜きます。これがなにより辛い!!いつもとかわらない日常の中で周りは普通にランチに出かけるのに、自分は食事をとってはいけないというのは苦痛以外のナニモノでもありません。それは想像するだけで苦しかったので、私と夫はズルをして仕事を休みました。それでも、家にいると何かと食べ物があるので、ここにいては辛い!と、早々に奈良に向かいました。

新幹線で京都まで行き、近鉄線に乗り換え、吉野まで。さらにケーブルカーで山に昇ります。コーヒーもダメなので、途中時間つぶしに喫茶店に入ることも出来ず、楽しみは窓外の景色だけ。周りではお弁当を広げる匂いがし、コーヒーの香りが漂ってきます。一人でないことが唯一の救いでしたが、二人ともどんどん無口になって、寝るのが一番ましかも…と気付き、近鉄電車は爆睡。何とか無事、誘惑に負けずに吉野についてホッとしましたが、早くつきすぎてしまい、集合時間には3時間もあります。せっかくなので荷物を預かってもらって、吉野の山の散策に出かけました。金峯山寺、水分神社(みくまりじんじゃ)、西行庵…吉野の山は散策には困りませんが、断食の注意事項に、〝食べていないため、体力が気付かないうちに低下しているので無理な運動をしないように〟と書いてあるのを思い出し、西行庵までは遠いので水分神社で折り返し、近所のお店を覗いたりしながらぶらぶら過ごして午後7時に東南院に戻りました。ちなみに、「水分神社」とは、字の通り水を分けた神社で、水が湧いた場所です。人々は水がある場所から生活をはじめるので、ここは昔々から大切にされてきた神社ですよね。とても古くて歴史のある神社なので、吉野に来たらぜひ立寄ってみてくださいね。

さて、断食参加者は25名。全国から集って来ました。年齢も20代~60代までバラバラ。男女比は男性が70%で女性が30%。オリエンテーションがあって、自己紹介をしてご挨拶が終わったら、早速1回目の勤行(ごんぎょう)が始まります。30分の座禅。お香が焚かれ、一人ずつ入堂。その際、手は左手の親指を握り、外から右手で覆い、みぞおちのあたりに平行において歩きます。そして、自分の座る場所(座位)に一礼、座位に背を向けて一礼して座ります。体の位置を整え、背筋を伸ばし、目は半目状態で1m程先に視線を落とします。この状態で深呼吸をするように深く吸ってゆっくり吐き出します。途中、眠くなった時など、自ら合掌して、「警策(きょうさく)」で背中を打っていただく。これは意外にもとても気持ちよくて、体が引き締まる感じがします!これで1日目が終了。本当に長い一日でしたが、何もかも初めての体験なので、興奮しているのか思ったほど辛くはなく、深い眠りに落ちました。

2日目は5時起床。山の霊気を浴びながらいよいよ金峯山寺蔵王堂にて朝の勤行。吉野の山の朝は霧に包まれ、薄い雲の隙間から見える山々。谷に広がる桜の木々の枝の先に薄いピンクのつぼみがほのかに色を添えて、なんともいいようのない美しさです。おなかが空っぽのせいか、空気がおいしくて、音にも匂いにもとても敏感になります。体力は間違いなく落ちているのに、勤行での般若心経(はんにゃしんきょう)は黙って聞いているより、皆さんと一緒に大きな声を出して読む方が元気が出てくるのが不思議です。

このあと、また東南院に戻って、1時間ごとに30分の止観行(しかんぎょう/座禅)を夜まで繰り返します(3日間で19回)。30分の止観行が終わると30分の休憩があるのですが、この時間は何をやっても良くて、休憩所にはあたたかい柿の葉茶と冷たい水が置いてあってこれらはどれだけ飲んでもかまいません。

30分の休憩ははじめはいろんなところからお見えになっている参加者の皆さんとおしゃべりをしていましたが、2日目の午後くらいになると話すことも座っていることもしんどくなって自室に行ってお布団に横になることが多くなります。体力が落ちていくのがとてもよくわかります。午後8時の最後の止観行が終わると、自由なので本を持ち込んでいましたが、頭を使うのもしんどくて9時には寝てしまいます。

3日目の朝、たっぷり睡眠をとったにもかかわらず、ボーッとして朝の歯磨きで歯磨き粉と湿疹の薬を間違えて歯を磨いてしまい、気持ち悪くて何度も吐き、朝の勤行も途中で抜け出してしまいました。が、あとからお寺の方が椎茸汁を飲ませてくださり、毒消しになったのか、最後の止観行には無事復活しました。

午前10時半、ようやく断食終了。身体も心も空っぽになると、五感が敏感になります。町はこんなにも食べ物の匂いに溢れているのかと、驚きます。一人では絶対に出来ないけれど、参加者の皆さんと生活をともにしたことで、脱落することなく、やり遂げられた達成感を皆で共有できたこと、3日食べなくても普通に生きていられることを知り、心の充足を感じます。例えば災害にあって食料が手に入らない状況になったとしても、3日は食べなくても死なないことを知っているだけで、すぐにパニックにならず、落ち着いた判断ができるようになると、お坊さんは仰っていました。

そして、いよいよ断食あけの食事…これがすごいんです!!
断食後については、次回にお話したいと思います。お楽しみに~(^^)♪

 

コメント

断食参加者って、案外男性が多いのですね。
日常生活じゃ断食なんて絶対無理だと思いますが、世界遺産である金峯山寺でだったら、やり遂げられるような気がしますが、、、。(考えが甘いですか)でも辛そうー!一食抜いただけでも倒れそうになるのに。でも音や匂いに敏感になるって体験してみたいなあ。って思いながら読んでいくと、次号に続くですか。断食明けの食事はどんなだったんだろう?楽しみにしています。

投稿者 島崎直子 : 2007年04月03日 10:09

島崎さま
早速のコメント、ありがとうございます。正直、辛いです。
私も自分には甘いので、この環境だったので参加しました^^;
でも、自分の身体を客観的に観察するのが面白くて、終わってしまえばあっという間。また参加したい…と思うから不思議です!

投稿者 Anonymous : 2007年04月04日 10:50

最近、健康の事が気になります。デドックスという概念があり、毒素を出す意味らしいです。断食は、以前より興味があり、今回のエッセイを拝見してやってみようかなと思います。どこの神社でも出来るのですかネ。良い情報が有りましたら教えて下さい。

投稿者 田中 彰 : 2007年04月24日 16:45

田中様コメントありがとうございます。
デドックス、気になりますよね。この断食はピッタリだと思いますが、滅多にやっていません。後編で参考になる情報を掲載しますね。

投稿者 中尾伊早子 : 2007年04月25日 17:19

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