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<title>Japan Senior Online</title>
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<title>知って納っとく！「オヤジくさい」なんて呼ばせない！！</title>
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<summary type="text/plain"><![CDATA[   &nbsp;   パントロン・ワン株式會社　   &nbsp;   ・・・...]]></summary>
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<name>junior</name>


</author>
<dc:subject>mono</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://j-senioronline.com/">
<![CDATA[<table width="500" height="1061" border="0" align="center" cellpadding="0" cellspacing="0">
<tr> 
<td align="center"><font size="+1">&nbsp;</font></td>
</tr>
<tr> 
<td height="13" align="right"><font color="#333333">パントロン・ワン株式會社　</font></td>
</tr>
<tr> 
<td height="13" align="right">&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td height="18" align="center" valign="top"><font color="#339933"><strong>・・・ニオイの原因は毛穴に詰まった酸化した皮脂（過酸化脂質）・・・</strong></font></td>
</tr>
<tr> 
<td height="52" valign="top"> 
人にはいろいろなニオイがあります。若い女性の近くにいけばお化粧のニオイににた甘いニオイがあるし、若い男性には汗と混じった独特なニオイがあります。そして、中年以上になると、特有のちょっとしなびたニオイがあるようです。このニオイを<strong><font color="#FF6600">「おやじ臭」</font></strong>正式には<strong><font color="#FF6600">「加齢臭」</font></strong>と呼びます。この加齢臭、汗のニオイと思いがちですが、問題は皮脂の酸化にありました。<br>
</td>
</tr>
<tr> 
<td height="13" valign="top">&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td height="136" valign="middle"><font color="#339933"><strong><img src="http://j-senioronline.com/images/mono/2007_08/img_3.jpg" alt="ニオイの原因は細菌の繁殖にあった。" width="128" height="136" hspace="10" border="0" align="right">ニオイの原因は細菌の繁殖にあった。<br>
<br>
</strong></font>皮脂腺から分泌された皮脂は汗腺から分泌される汗と混ざり皮膚のバリアーとしての皮脂膜を形成します。しかし、時間とともに酸化し、<strong><font color="#FF6600">ネバネバした<a href="http://j-senioronline.com//mono/kotoba1.html" onclick="window.open('http://j-senioronline.com//mono/kotoba1.html','popup','width=500,height=450,scrollbars=auto,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false">過酸化脂質</a>に変化、毛穴に詰まり肌を密閉します。</font></strong> 
そして脂肪を好物とする細菌の繁殖の原因となります。こうして細菌による脂質の分解作用（排泄物）によってニオイが発生するのです。</td>
</tr>
<tr> 
<td height="13">&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td height="52"><font color="#339933"><strong>ワキガの原因はアポクリン汗腺。 </strong></font><br> 
<br>
でも最も気になるのがワキガ臭。個人差が多いのですが、強い人はかなり強烈です。通常の汗腺と違い、脇や陰部にはアポクリン汗腺と呼ばれる汗腺が分布しています。この汗はたんぱく質や脂肪を多く含み、皮脂と混ざり合い酸化が進むと<strong><font color="#FF6600">細菌の増殖を促し、</font></strong>きついニオイの発生となります。</td>
</tr>
<tr> 
<td height="13">&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td height="130"><img src="http://j-senioronline.com/images/mono/2007_08/img_2.jpg" alt="ワキガの原因はアポクリン汗腺" width="114" height="130" hspace="10" border="0" align="left"><font color="#339933"><strong>年をとるごとに臭くなる？加齢臭。</strong></font><br> 
<br>
加齢臭独特の体臭はパルミトオレイン酸という脂肪酸の分泌と大きく係ってきています。パルミトオレイン酸は細胞の構成脂肪酸として肌の老化をおさえ、血管を強化する物質として重要な働きをしていますが、ひとつの老化現象として40歳を過ぎると分泌量が急速に増加します。この脂肪酸が分泌され過酸化脂質となると、皮膚の常在菌に分解されるとノネナールという物質に変化します。この<strong><font color="#FF6600">ノネナールが加齢臭の特有なニオイ物質</font></strong>といわれています。</td>
</tr>
<tr> 
<td>&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td height="182" valign="top"><table width="100%" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
<tr>
<td width="342"><font color="#339933"><strong>臭いと言われないためには、身体を「過酸化状態」にしない事が大切。</strong></font><br /> 
<br />
<strong><font color="#FF6600">ニオイの原因は毛穴に詰まった過酸化脂質。</font></strong>この過酸化脂質を日常の洗浄で除去できればニオイも収まってくれます。でも過酸化脂質は粘度が高く、<strong><font color="#FF6600">通常のソープではなかなか落ちてくれない</font></strong>のが現実です。<br /> 
<br /> <font color="#339933"><strong>乳化剤入り石鹸「フォーミュラＢソープ」の秘密</strong></font><br /> 
<br />
石鹸は脂肪酸とアルカリをケン化させてつくる乳化剤ですが、その乳化力はあまりありません。でも乳化力が強い合成洗剤では肌をいためてしまいます。その両方を解決したのが、乳化剤配合ソープ。フォーミュラＢソープはヘルシンキ大学で研究、開発された<a href="http://j-senioronline.com//mono/kotoba2.html" onclick="window.open('http://j-senioronline.com//mono/kotoba2.html','popup','width=500,height=450,scrollbars=auto,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false">ヘルシンキ・フォーミュラ</a>独自のノウハウで<a href="http://j-senioronline.com//mono/kotoba3.html" onclick="window.open('http://j-senioronline.com//mono/kotoba3.html','popup','width=500,height=450,scrollbars=auto,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false">肌に安全な乳化剤を配合</a>させたソープです。</td>
<td width="178" valign="top"><table width="100%" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
<tr> 
<td align="center"><font color="#339933"><img src="http://j-senioronline.com/images/mono/2007_08/img_1.jpg" alt="ワキガの原因はアポクリン汗腺" width="136" height="155" hspace="10" border="0" /></font></td>
</tr>
<tr> 
<td valign="top"><font color="#FF6600" size="-2">※乳化とは互いに反発しあう物質を混ぜ合わせることを言います。このことにより頑固に詰まった過酸化脂質も徐々に解除され、浄化されていきます。</font></td>
</tr>
</table></td>
</tr>
</table></td>
</tr>
<tr> 
<td  align="center">&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td height="129"  align="center"><img src="http://j-senioronline.com/images/mono/2007_08/allow.gif" alt="パントロン・ワンが納得させます" width="234" height="129" hspace="10" border="0"></td>
</tr>
<tr> 
<td  align="center">&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td height="160"  align="center"><a href="http://www.helsinkiformula.co.jp/b-index.html" target="_blank"><img src="http://j-senioronline.com/images/mono/2007_08/formyura_b.jpg" alt="フォーミュラB" width="500" height="160" hspace="10" border="0"></a></td>
</tr>
<tr> 
<td height="10"  align="center">&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td height="30"  align="center"><a href="http://www.helsinkiformula.co.jp/b-index.html" target="_blank"><img src="http://j-senioronline.com/images/mono/2007_08/shousai_2.gif" alt="詳細情報へ" width="137" height="30" border="0"></a></td>
</tr>
</table>]]>

</content>
</entry>
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<title>第八回　ウエーディング・システム</title>
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<modified>2007-07-27T10:17:05Z</modified>
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<summary type="text/plain"><![CDATA[       （文）　FLYの達人　渡辺　隆　   &nbsp;     英国の...]]></summary>
<author>
<name>junior</name>


</author>
<dc:subject>fly_regend</dc:subject>
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<![CDATA[<table width="539" height="1892" border="0" align="center" cellpadding="0" cellspacing="0">
<tr> 
<td height="20"> <div align="center" class="13pxl"><font color="#333333"></font></div></td>
</tr>
<tr> 
<td align="right"><font color="#333333"><strong>（文）　FLYの達人　渡辺　隆　</strong></font></td>
</tr>
<tr> 
<td align="right">&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td valign="top"> 
<p><img src="http://j-senioronline.com/images/legend/8/20070726_2.jpg" alt="英国のユニローヤル社（UNI ROYAL）から発売されたダークオリーブのハンターブーツ（Hunter Boots）" width="180" height="250" hspace="10" border="0" align="right">英国のユニローヤル社（UNI 
ROYAL）から発売されたダークオリーブのハンターブーツ（Hunter Boots）は総ゴム製のアウトドア仕様のブーツとして名声を得ていました。ハンティングや釣り用のブーツは特に信頼されていたようです。このユニローヤル社はもともとゴムを活用するタイヤ・メーカーでしたが、時代の推移とともに企業間の思惑で統合や合併を繰り返し企業自体が無くなってしまいました。しかし、当時を知る職人たちが会社を存続させハンター（HUNTER）社と社名を変更し、現在でも綿々とその伝統を守っています。<br />
同様なゴムでも医療用に開発されたラテックス・ラバー（Latex Rubber）で製品化された製品もありましたが、素材自体が薄く、動き回ることによりよく擦り切れ、水漏れしやすく製品はすぐに消えてしまいました。私のウエーダーもすぐに擦り切れ何度も使用しないうちに、処分する羽目に陥った苦い思い出があります。次に出たのはダイビングのときに着用するウエットスーツの素材、クロロプレン素材です。この素材はクロロプレンの重合に依って得られた合成発泡ゴムで1931年に米国デュポン社が開発し製造を始められた素材で、その商品名がネオプレン（Neoprene）と呼ばれていたことから、一般的にネオプレン・ウエーダーと呼ばれました。<br />
<br />
<img src="http://j-senioronline.com/images/legend/8/20070726_1.jpg" alt="ウエーディング・シューズ" width="180" height="250" hspace="10" border="0" align="left" />釣り場で求められるウエイダーの役割は水中でも保温性が保たれること、動きやすいこと、濡れないことがその三大要素となります。その保温性や動きやすいという面でクロロプレンが優れた素材となることから、一時この素材ももてはやされましたが、重量が他の素材に比べ重くコンパクトに畳むことが不可能というコンパクト差(性能)に欠けることから新素材のゴアテックス(GORE－TEX)に取って代わられつつあります。しかし、寒い時期の釣りに欠かすことは出来ません。<br />
ゴアテックスはさまざまな素材に活用されているので、ご存知の方も多いと思いますが、防水性や透湿透過性（汗などの粒子の細かい水蒸気は外に逃がし、水滴などの大きい粒子は透過させない性質）に優れた素材で雨具（レインジャケット）や帽子(ハット・キャップ)、靴(シューズ)等に多く利用されている素材です。第一世代の初期モデルは水漏れなどの不具合が生じ残念ながら製品としての信頼性は低かったのですが、最近の製品は生地の弱い部分を二層(２レイヤー)、三層(３レイヤー)に補強し、最強のものは五層(５レイヤー)に補強され耐久性に優れ丈夫になっています。現在、主流となっている素材です。釣りになくてはならない存在ですが、このウエストハイ、チェストハイがあることにより、河川内に立ち込み過ぎるという弊害も出ています。釣り人の多さにストレスを感じ、魚の出が悪くなるという問題です。注意しましょう。<br />
<br />
長靴タイプはクラッシックでもあり最近は人気が回復しているような気配です。川岸や管理釣り場だけで釣るにはぴったりの存在でもあります。小渓流等ではヒップブーツ・タイプやウエストハイ・タイプを利用したほうが便利ですが、大きな川や海外遠征を狙うならばチェストハイ・タイプの利用を勧めます。靴付きのブーツフット・スタイルとウエーディングウエーディング・シューズを履く組み合わせスタイルの相違については、歩行距離が短く、動き回らない場合においてはブーツフット・スタイルを、歩行距離が長く、歩きやすく動けるのはウエーディング・シューズとストッキング・フットの組み合わせスタイルを選択するといいでしょう。<br />
<br />
<br />
次回はレインジャケット（Rain Jacket 雨具）を紹介しましょう。<br />
</p>
</td>
</tr>
<tr> 
<td>&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td>
<table width="90%" border="0" align="center" cellspacing="0">
<tr> 
<td  id="kakomikei"><table width="100%" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
<tr> 
<td width="130"> <table width="130" border="0" cellpadding="5" cellspacing="0" bgcolor="#999900">
<tr> 
<td><div align="center"><font color="#FFFFFF"><strong>おすすめスポット</strong></font></div></td>
</tr>
</table></td>
<td><div align="center"><font color="#333333"><strong>奥日光、湯川<br>
</strong></font></div></td>
</tr>
</table>
<br>
<font color="#333333"><img src="http://j-senioronline.com/images/legend/8/20070726_3.jpg" alt="箒川" width="255" height="180" hspace="10" align="right">栃木県奥日光の湯川は、湯の湖を水源とし中禅寺湖へと注ぐ河川で、戦場ヶ原の湿原をゆったりと蛇行しながら流れ、川岸の木道は学生などのハイキングや観光客、また若者のデートの散策路としても有名な場所で、標高１４００メートルに位置する湯滝からはじまり竜頭の滝までのおよそ１２．４キロメートルと規模の短い河川です。しかし、特に戦場ヶ原の湿原を流れるあたりからは、湿原からの伏流水により水量も増し、竜頭の滝では湯滝から出る２５倍もの水量に変化するといわれています。<br />
<br />
“湯川の釣りはスコットランド出身のトーマス・Ｂ・グラバー（Thomas Blake Glover）が1902年５月２日アメリカのコロラド州から発眼卵を輸入し、ブルックトラウトを放流したことから実現化します。奥日光ではこのブルックトラウトを｢パーレット鱒｣と呼んでいますが、それはグラバーとともに移植放流事業に尽力を尽くした英国大使館職員ハロルド・パーレット（Harold 
Parllet）に由来しています。”(内水面パンフレットからの抜粋)この後、何度かの放流を繰り返したことで完全に定着しました。冬季には産卵する姿を見るためのツアーもあるようです。元来、水生生物の乏しかった中禅寺湖ですが、湖畔より上流域を外国の大使館や公使館の別荘として活用していたようです。その際、故郷を懐かしく想う外人が鱒類を放流してFF(フライフィッシング)が行われるようになったことから、日光が日本におけるFF発祥の聖地として紹介されているのです。<br />
<br />
<img src="http://j-senioronline.com/images/legend/8/20070726_4.jpg" alt="箒川" width="255" height="180" hspace="10" align="left" />ちなみにトーマス・グラバーとは長崎にある洋館グラバー別邸の持ち主で、プッチーニの代表的三部作、オペラ｢蝶々夫人｣のモデルになった人物でもあるようです。日本人妻ツルとの次男、倉場富三郎(Thomas 
Albert Glover)は通称｢グラバー図譜｣(Fishes of Southern and Western Japan　日本西部及び南部魚類図譜)と呼ばれる魚類図譜を編纂しました。<br />
これも父親からの釣り、いや魚を愛することが遺伝しているのでしょうかね。<br />
湯川は湯の湖とともに独立行政法人中央水産研究所(内水面研究部)の利用する研究水面として農林水産庁が行政財産(試験研究水面)を管理するという珍しい形態で行われています。<br />
<br />
さらに維持管理は全国内水面漁業協同組合連合会(全内漁連)日光支所が委託を受け、釣り場の管理を行っています。一般河川は国が所有し漁業権を持った漁協が管理する形態をとっているのですが。まあ、研究フィールドとして最適なのでしょう。この湯川は上流部と下流部で、その趣はまったく異なります。湯滝から小田代橋までの区間は岩盤質で岩もありフリーストーンの様相を呈していますが、泉水池(いずみやどいけ)を中心とする禁漁区から下流域は青木橋からは湿原をくねくねと流れるチョークストリームの様相を呈しています。<br />
<br />
最近はキャッチ・アンド・リリース河川が増えてはいますが、この湯川のように生態持ち出しを禁止する河川は始めての試みです。また、ラムサール条約登録とともに河川流域では全域禁煙にしているとのこと。このことはこの原稿を書くまで知りませんでした。この区域において私もタバコを吸わないようにします。先日は喫煙してしまいました。ごめんなさい。これは言い訳ですが、きちんと灰皿を持ち、灰も捨てていません。<br />
濁りが入るのは釣り人が立ち込むせいだと云う事もはじめて知りました。<br />
<br />
〈遊漁券販売所〉<br />
１．湯の湖釣り事務所　　６：３０～１７：００　　　　　０２８８－６２－２５２４ <br />
２．赤沼茶屋　　　　　　　 ６：００～１７：００　　　　　０２８８－５５－０１５０<br />
３．湯滝レストハウス　　 ７：００～１７：００　　　　　 ０２８８－６２－８６１１<br />
４．大島商店　　　　　　　 ６：００～１７：００　　　 　 ０２８８－５５－００２２<br />
〈解禁日＆料金〉　　　　 ５月１日　３０００円　　５月２日～９月３０日　２０００円<br />
〈参考外部リンク〉<br />
全国内水面漁業協同組合連合会<br />
全国内水面漁業協同組合連合会日光支所<br />
中央水産研究所<br />
〈参考文献〉<br />
日光鱒釣紳士物語（著者：福田和美氏　発行：山と渓谷社）<br />
<br />
<br>
<br>
【問い合わせ】<br>
</font>塩原漁業協同組合　　℡0287-32-2264 <br>
小林釣具店　　　　　℡0287-32-3037<br>
<a href="http://www.siobara.or.jp/gyogyo/welcome.stm" target="_blank">http://www.siobara.or.jp/gyogyo/welcome.stm</a><br>
那珂川北部漁業組合　℡0287-54-0002<br>
<a href="http://park6.wakwak.com/%7Enakagawa-hokubu/" target="_blank">http://park6.wakwak.com/~nakagawa-hokubu/</a><br>
<br>
<br>
</td>
</tr>
</table></td>
</tr>
<tr> 
<td  align="center"> <a href="http://click.linksynergy.com/fs-bin/click?id=W69lne5vPQg&offerid=100006.10000006&type=4&subid=0"><IMG alt="アウトドア＆フィッシング　ナチュラム" border="0" src="http://www.naturum.co.jp/LS/link/01top/01.gif"></a><IMG border="0" width="1" height="1" src="http://ad.linksynergy.com/fs-bin/show?id=W69lne5vPQg&bids=100006.10000006&type=4&subid=0"> 
</td>
</tr>
</table>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>第十六回　憶えていますか？こんなＴＶ番組</title>
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<modified>2007-08-28T00:53:47Z</modified>
<issued>2007-07-27T02:15:48Z</issued>
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<summary type="text/plain"><![CDATA[ &nbsp;    テレビ時代劇ア・ラ・カルト テレビで最初に見た時代劇という...]]></summary>
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<![CDATA[<table width="504" height="2000" border="0" cellpadding="0" cellspacing="0">
<tr>
<td height="15">&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td> <h2><strong><font color="#996600">テレビ時代劇ア・ラ・カルト</font></strong></h2><br />
テレビで最初に見た時代劇というと、題名は忘れたが、風呂焚きの下男が白覆面に変身して悪人をこらしめるという内容のドラマだった。NHKの作品だったので、斬殺すことなく峯打ちで倒していた。 
<br /> <br />
NHKのチャンバラ時代劇で忘れられないのが『月下の美剣士』だ。１９６０年の４月に開始され、最初は悪人をバンバン斬っていたのが、途中から主人公は柔術の名人になり、剣を抜かなくなり、半年後には番組も打ち切られてしまった。なんでも当時のNHKの会長さんが、暴力的なことに一切反対したらしい。主演の加藤博司は、後番組の『ポンポン大将』にほんのちょっと出演した後、NHKを去って大映に入った。大映での芸名は成田純一郎だよ。 
<br /> <br />
民放で見た最初の時代劇は、『大江戸風流男・恋さま罷り通る』だった。中村芝雀の“恋さま”は良家の坊ちゃんだが、市井で暮している。二枚目の優男だけど剣の達人なんだ。女性にもてて何不自由なく暮すキャラクターは、“若さま侍”と同じだね。３～４回しか見ていないんだが、妙に印象に残っている。 
<br /> <br /> <table width="335" border="0" align="center" cellpadding="0" cellspacing="0">
<tr> 
<td width="150"><img src="http://j-senioronline.com/images/tv/16/20070726_1.jpg" alt="加藤博司（成田純一郎）  諸羽流青眼崩し" width="355" height="239" border="0" /></td>
</tr>
</table>
<br />
毎回かかさずに見ていたのが、『旗本退屈男』だった。主演は中村竹弥。映画で市川右太衛門を見ていたので、だいぶ見劣りがしたが、テレビで退屈男が見れたことに満足	
したよ。中村竹弥は、右太衛門の退屈男のスタイルをそのまま踏襲していた。青眼に構えた刀を、左足を前に出した逆足にして、刀を真直ぐに立てる立てる諸羽流青眼崩しも、徳川初期の旗本奴みたいな浪人風の総髪も、三波春夫もマッツァオという豪華絢爛な衣装も……。	
佐々木味津三の原作には、諸羽流青眼崩しの構えは書かれておらず、頭髪も“青月代”だし、衣服も黒羽二重だった。私たちがイメージしている退屈男のスタイルは全て右太衛門が考案したんだよ。	
<br /> <br />
　主演の中村竹弥は、歌舞伎の裏方出身で、舞台活動をしていたところを、１９５５年にTBS（当時はKRテレビ）の『江戸の影法師』の主役に抜擢され、一躍売出した。『江戸の影法師』は同局が初めて挑戦した時代劇で、この成功を受けて『右門捕物帳』『旗本退屈男』と続けて主演することになる。私が中村竹弥を知ったのは『旗本退屈男』からだった。明朗さには欠けるものの、退屈男の豪放さは上手く演じていたと思う。この番組は、前編･後編の二回完結形式だったが、出演者は常に同じ顔ぶれだった。新東宝の女優だった筑紫あけみや、悪役専門の山岡徹也が役名を変えて毎回登場していた。俳優を固定化することで出演料をおさえ、製作費を安くあげてたんだろうなあ。 
<br /> <br />
中村竹弥の持味が発揮されたのは、１９６２年の『新選組始末記』の近藤勇だ。徳川幕府に最後まで忠誠をつくす、生真面目で融通のきかない武骨者の性格が、中村竹弥のキャラクターと一致していた。子母沢寛の同名の史伝を忠実にドラマ化した『新選組始末記』は、芥川隆行の名ナレーションと、ドラマの内容にマッチした哀愁を帯びた主題歌で始まる。従来の幕末もののドラマでは断片的にしか知られてなかった新選組の姿を、その結成から近藤勇の死までを、史実に基づいてダイナミックに描いていた。これまでは虚構の世界でしか知られていなかった新選組の活動が、この番組で視聴者に史実として把握されたことは、後の幕末ものに大きな影響を与えた。その意味では、幕末歴史ドラマの先駆けといってもいいだろうな。<br /> 
<br />
中村竹弥以外には、土方歳三に戸浦六宏、沖田総司に明智十三郎、芹沢鴨に金子信雄といった配役だった。明智十三郎の表情の乏しい演技が、逆に沖田総司の朴訥さを感じさせた。明智十三郎は新東宝出身の俳優で、新東宝時代には松平長七郎を主人公とした“若君漫遊記”シリーズの主演作がある。テレビにおいても『若君日本晴れ』という、同じキャラクターの主演ものがあるが、私は見ていない。<br /> 
<br />
新東宝という映画会社は、「来なかったのは軍艦だけ」といわれ、占領軍まで介入した東宝争議のさなか、映画作りに情熱を燃やす俳優と、東宝撮影所従業員組合が１９４７年３月に創立した会社だった。しかし、確固たる配給網を持っていなかったので、常に経営危機と直面しており、６１年５月に製作を中止し、事実上倒産した。新東宝の１４年間の歴史は、大きく二つの時代に分けることができる。大蔵貢が社長をしていた時代と、それ以前とである。新東宝のスターというのは、大蔵時代の専属俳優をいう。大蔵以前のスターというのは東宝からの移籍組みで、新東宝に来る以前からのスターだったのだ。	
<br /> <br />
大蔵体制になる直前の５４年に、出演料１本３０万円と、自動車の送り迎えという条件で、新東宝に入社したのが若山富三郎だった。弟の勝新太郎は、一足早く大映入りし	
ていた。新東宝の期待を一身に担った感じだが、思ったほど人気が出ず、５８年に退 社し、６０年に東映に移るまで、テレビで『銭形平次捕物控』に主演していた。 若山富三郎は立回りがうまいので、十手のような扱いにくい武器を器用に使って迫	
力を出していた。ただ投げ銭に関しては、映画の長谷川一夫が一番だな。　　 <br /> <br />
テレビにおける銭形平次は、６２年の安井昌ニを経て、６６年の大川橋蔵が極めつけとなる。なにしろ原作を５００も上回る８８８回、１８年も続いた長寿番組だからね。銭形平次といえば大川橋蔵となるが、初代・若山富三郎も捨てたもんではありませんよ。	
<br /> <br /> <table width="223" border="0" align="center" cellpadding="0" cellspacing="0">
<tr> 
<td width="150"><img src="http://j-senioronline.com/images/tv/16/20070726_2.jpg" alt="若山富三郎  大川橋蔵" width="314" height="223" border="0" /></td>
</tr>
</table>
<br />
大川橋蔵の映画における代表作は『新吾十番勝負』だね。八代将軍吉宗の御落胤という毛並みの良さに加え、眉目秀麗な青年剣士という設定は、キリッとした中に艶っぽさをにじませ、プリンス的な優雅さを持つ二枚目俳優の橋蔵にはうってつけだった。　<br /> 
<br />
５７年に発表された川口松太郎の小説は、５８年１２月にテレビ化された。大川橋蔵の映画が５９年だから、テレビの方がわずかであるが早いことになる。　主演は、新東宝の悪役スターだった江見俊太郎。中川信夫監督の最高傑作である『東海道四谷怪談』が新東宝最後の作品だった。主人公の民谷伊右衛門をたきつける、悪の権化のような直助を好演。『新吾十番勝負』の前年に、同じ日本テレビで『眠狂四郎』を主演しているが、こちらは未見。特攻隊の生き残りである江見俊太郎は当時３５歳だったが、孤愁の青年美剣士・葵新吾を演じても違和感はなかった。	
<br /> <br />
吉宗が松平頼方と名乗っていた頃、行列のお共先をみだした商人を無礼討ちする。その娘と許婚者が頼方を仇とねらって失敗し、娘は頼方の側室にむかえられ新吾を生む。許婚者だった庄三郎は新吾をさらい、武州大台ヶ原の自源流の道場に預ける。新吾は、庄三郎と、庄三郎の剣の師である梅井多門を親代わりに成長し、自源流の達人真崎備前守の直伝を受ける。新吾１８歳の時に、秩父八幡の宮司の娘お縫を救うために、黒田家の次席家老の息子を斬ったことから、黒田家の怒りをかい窮地におちいる。梅井多門は新吾救出のために出生の秘密をあかすことになる。自分の出生に悩みつつ、父母への慕情を胸に秘め、新吾は剣の修行を志して、全国を遍歴する。	
<br /> <br />
テレビでは他に田村正和、松方弘樹、国広富之らが演じたが、６１年にフジテレビ系列で放送された『新吾二十番勝負』の夏目俊二はひどかった。宝塚テレビ映画の時代劇役者で、立回りはうまいのだが、哀愁・華麗さがなく、育ちの良さという雰囲気がまるでなかった。５９年の『十六文からす堂』の飄々とした浪人役が一番似合っていた。 
<br /> <br /> <table width="308" border="0" align="center" cellpadding="0" cellspacing="0">
<tr> 
<td width="150"><img src="http://j-senioronline.com/images/tv/16/20070726_3.jpg" alt="（左）徳川吉宗：大友柳太郎  （右）葵　新吾　：大川橋蔵" width="308" height="290" border="0" /></td>
</tr>
</table>
<br /> </td>
</tr>
<tr> </tr>
<tr> 
<td><h2><strong><font color="#996600">いろいろあった３０分西部劇</font></strong></h2></td>
</tr>
<tr> 
<td>&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td>テレビの創成期、主流は３０分番組だった。西部劇も同様で、お子様ウエスタンは もちろんのこと、アダルト・ウエスタン（アダルトといってもポルノ映画ではありませんぞ）も当初は３０分番組が一般的だった。前述した作品以外では、『テキサス決死隊』『ブロークン・アロー』『胸に輝く銀の星』『西部のパラディン』『レストレスガン』『スミスという男』『テキサン』『コルト４５』『風雲クロンダイク』といったところが懐かしく想い出される。	
<br /> <br />
毎週水曜日７時３０分から放送されていた『テキサス決死隊』は、往年の名作西部劇と同じ題名だが、テキサス・レンジャーを主人公にしているだけで、映画の内容とは全く関係なかった。主人公のジェス・ピアンス（ウィラード・パーカー）が１８００年代の話と、現代の物語に毎回交互に登場して活躍するのだ。駅馬車強盗を追ったかと思うと、次ぎの週は麻薬密売組織を追うといった具合。主人公の設定が、祖父と孫（お爺さんの名前を継いでいる）という関係であったところがユニークだった。テキサス・レンジャーに対して、アリゾナを舞台にレンジャーが活躍する『アリゾナ・レンジャー』というのがあったが、私は観ていない。それと、『テキサス決死隊』の後番組が『ライフルマン』だったんだよ。 
<br /> <br />
『テキサス決死隊』は単に題名が同じだけだったが、題名も内容も映画と同じだったのが『ブロークン・アロー』だった。１８７０年代のアリゾナを舞台とした、トム・ジェフォーズとアパッチの大酋長コチーズとの友情物語。映画では、ジェームズ・スチュアートとジェフ・チャンドラーのコンビだったが、テレビではジョン・ラプトンとマイケル・アンサラのコンビ。白人とインディアンとの確執、それを丸くおさめようとするジェフォードとコチーズの活躍。滅びゆく民族インディアンの悲哀を謳った異色作と宣伝文句にあったが、毎度類型的な話ばかりで、最後の方は観ていない。<br /> 
<br />
期待外れといえば『アニーよ銃をとれ』の後番組の『胸に輝く銀の星』もそうだった。当代随一の保安官役者として評判の高かったヘンリー・フォンダの主演で、保安官役とくれば期待して当然だ。私が初めて映画でフォンダを観たのは、リバイバル上映された『荒野の決闘』だが、この時点ではまだ観ておらず、まだ見ぬ恋人として期待が大きかった。フォンダの元保安官が、アンソニー・パーキンスの新米保安官を指導して立派な保安官にする『胸に輝く星』という映画があったので、『胸に輝く銀の星』もフォンダが新米保安官を助けて毎回活躍するものだと思っていたのだ。原題を調べれば、前者が“Ｔｈｅ　Ｔｉｎ　Ｓｔａｒ”で、後者が“Ｄｅｐｕｔｙ”だから、すぐに違うものだとわかるのだが、邦題にだまされてしまった。<br /> 
<br />
『胸に輝く銀の星』の舞台は、アリゾナ州にある砂漠と山に囲まれた架空の町シルバーシティ。フォンダが扮するのは、サイモン・フライというチーフ・マーシャル。このチーフ・マーシャルという職位がよくわからなかった。タウン・マーシャルが別にいたので、副署長的なようでもあり、州の命令で管轄エリア外でも働いているのでＵＳマーシャル（連邦保安官）のようでもあったからだ。ドラマのはじめか、終わりごろに顔を出すくらいで、留守中は保安官助手のクレイ・マッコード（アラン・ケース）が事件を解決する。早い話が、ヘンリー・フォンダは主演ではない<br />
のだ。私が「これじゃあ、サギだ」と言ったら、「映画スターとして一流のフォンダがテレビに出演する時間があると考える方が甘い。わずかな出演でも出るだけマシ。それにタイトルだってデュピティ（保安官助手）じゃないか」といった親父の言葉が忘れられない。デュピティという英語を覚えたのは、この番組なんだよね。学校の英語授業には役に立たなかったけど。 
<br /> <br />
クレイは普段は雑貨商を経営しており、拳銃の腕を見込まれて、パートタイマーの保安官助手を勤めている。定職を持ち、拳銃はあくまでも身を守るためのものと考える主人公の人生観は、これまでの西部劇にはないものだった。シナリオもよくできており、内容的には悪くなかったが、期待が大きかった分だけ不満が残ったんだよ。	
<br /> <br /> <table width="442" border="0" align="center" cellpadding="0" cellspacing="0">
<tr> 
<td width="150"><img src="http://j-senioronline.com/images/tv/16/20070726_4.jpg" alt="テキサス決死隊/ブロークン・アロー/胸に輝く銀の星" width="442" height="187" border="0" /></td>
</tr>
</table>
<br />
ホルスターの大写しにタイトルが被り、カメラが後退するや、節くれだった手が拳銃を引き抜いて、轟然一発、弾丸をブッ放す。『西部のパラディン』の始まりだよ。パラディンとは、中世フランスで勇名をはせた騎士の名。パラディンの使う拳銃にはトレードマークのチェスのナイトの駒がきざまれている。軍隊がいやになって、西部へ飛び出した元陸軍士官の中年のプロ・ガンマン。全身黒ずくめの服装に身をかため、１８７０年代の西<br />
部の町を渡り歩き、他人のトラブルを引受けては、その素早い拳銃さばきで悪を倒す。理性的で、どんな事態に陥っても決してあわてない。沈着を絵にしたような男。ピンチの時は、隠し持ったデリンジャーが火をふく。パラディンに扮したのは、鼻のしたの口ヒゲがダンディーなリチャード・ブーン。リチャード・ブーンは、西部開拓史上有名なダニエル・ブーンの末裔でもあったんだよ。<br /> 
<br />
『西部のパラディン』は、火曜日９時３０分からＮＨＫで放送されていた。しかし、暴力追放のあおりを受けて、ＮＨＫでの放映期間は短く、その後民放に移り、『西部の男パラディン』の題名で放映された。ＮＨＫは字幕だったが、民放では日本語吹替え。印象としては、ＮＨＫの字幕放送が強く残っている。　<br /> 
<br />
タイロン・パワー、ロバート・テイラーとならぶ往年の二枚目スター、ジョン・ペインが主演したのが『レストレス・ガン』だった。１９６０年代の西部を舞台に、カウボーイのヴィント・ボナーが無法を憎み正義を愛し、請われるままに正義の拳銃をふるうという典型的な股旅ウエスタンだったよ。二枚目特有のモタモタした動きで、西部劇ファンには評判の悪かったジョン・ペインだが、この作品では結構サマになっていたような気がしたのは私だけかなあ。 
<br /> <br />
ジョン・ペインとは逆に、素早い動きで西部劇ファンに人気のあったオーディ・マーフィが主演したのが『スミスという男』だった。１８７０年代に“ささやきスミス”と呼ばれた、デンバー警察に実在した警部が犯罪捜査するミステリー西部劇だったよ。従来の西部劇と異なり、コロラド州が舞台となっているのは珍しかったが、オーディ・マーフィのアクションを期待した私としては、いささか拍子抜けだった。<br /> 
<br />
オーディ・マーフィと同じようにＢ級西部劇のヒーローだったロリー・カルホーンが主演したのが『テキサン』だった。１８７０年代混乱期のテキサスをさすらい歩きながら、弱者の味方として自由と正義のために戦ったカウボーイの物語。主人公のビル・ロンリーは実在の人物と紹介されていたが、現在にいたるまで文献でお目にかかっていないんだよなあ。主演のロリー・カルホーンは、役者になる前は、木こり、坑夫、運転手、牧童、森林警備隊員と職業を転々としたあげく、スリまでやったというけど、本当かね。多くのＢ級西部劇スターが、テレビ西部劇の衰退とともに、マカロニ・ウエスタンへ流れて行ったのに、ロリー・カルホーンだけはマカロニに出演していないんだよ。 
<br /> <br />
テレビ西部劇からマカロニに流れ、大スターになったのがクリント・イーストウッドだが、目立たなかったのがウェイド・プレストンだった。彼が主演したテレビ西部劇『コルト４５』は、私のお気に入りだったんだけど。Ｃの字を大きくした“ＣＯＬＴ－４５”の文字タイトルは斬新でカッコよかったよ。『コルト４５』は、主人公のクリストファー・コルトがグラント将軍の密命を受け、コルト銃器会社の宣伝マンとして“コルト４５”の名で知られたコルト・シングル・アクション・アーミー（コルト・ＳＡＡ）を宣伝しながら、行く先々で無法者を倒していく物語だった。新製品なのに、何故か無法者もＳＡＡを持っていた。コルト・ＳＡＡが、“コルト４５”と称されるのは、その口径が百分の４５インチだったからで、他にも“ピースメイカー”“フロンティア”等の通称で呼ばれることが多い。これだけ愛称があるのは、ＳＡＡが単にコルト一社の傑作ということに止まらず、拳銃史上、最大の秀作といってもいい過ぎでないくらい優秀な拳銃だからで、西部開拓史には絶対に欠かすことのできない立役者だったからだよ。	
<br /> <br />
ゴールドラッシュのアラスカのクロンダイクの町を舞台にした『風雲クロンダイク』は、主人公のマイク・ホリディに扮したラルフ・テーガーより、敵役のジェームズ・コバーンの方が魅力的だった。悪事がバレて、町の連中から生タマゴをぶつけられるシーンは今でも憶えているよ。 
<br /> <br /> <table width="452" border="0" align="center" cellpadding="0" cellspacing="0">
<tr> 
<td width="150"><img src="http://j-senioronline.com/images/tv/16/20070726_5.jpg" alt="西部のパラディン/テキサン/コルト４５" width="452" height="220" border="0" /></td>
</tr>
</table>
<br> </td>
</tr>
<tr> 
<td>&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td align="right">資料提供 ： Ｎｏｓｔａｌｇｉｃ　Ｗｏｒｌｄ</td>
</tr>
<tr> 
<td height="25" align="right">&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td><strong><font color="#996600">次回は「この銃撃アクションが凄い！」を掲載します。お楽しみに！</font></strong></td>
</tr>
<tr> 
<td  align="center"><br> <a href="http://click.linksynergy.com/fs-bin/click?id=W69lne5vPQg&offerid=53128.10000255&type=4&subid=0"><IMG alt="Sony Music Shop" border="0" src="http://www.sonymusicshop.jp/affiliate/images/life_with_music468x60.jpg"></a><IMG border="0" width="1" height="1" src="http://ad.linksynergy.com/fs-bin/show?id=W69lne5vPQg&bids=53128.10000255&type=4&subid=0"> 
</td>
</tr>
</table>]]>

</content>
</entry>
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<title>第十二回　回想・上海５年</title>
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<modified>2007-09-05T05:45:32Z</modified>
<issued>2007-07-26T05:29:52Z</issued>
<id>tag:j-senioronline.com,2007://1.121</id>
<created>2007-07-26T05:29:52Z</created>
<summary type="text/plain"><![CDATA[   &nbsp; （文）上海工商外国語学院 客員教授・中本　洋 &nbsp; ...]]></summary>
<author>
<name>junior</name>


</author>
<dc:subject>japan_china</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://j-senioronline.com/">
<![CDATA[<table width="90%" border="0" align="center" cellpadding="0" cellspacing="0">
<tr> 
<td height="20">&nbsp;</td>
</tr>
<tr>
<td height="20" align="right"><strong>（文）上海工商外国語学院 客員教授・中本　洋</strong></td>
</tr>
<tr>
<td height="20">&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td>昨年９月の新学期の契約の時、学校側から次のように言われました。「上海の規定では、外国人の先生は、同じ大学で連続５年以上は勤められません。よって来年は契約できません」。それを聞いて、私は即座に「今度は国立大学へ行こう」と決めました。そして思わず頬が緩みました。有体に言えば、この２,３年、本当に日本語を勉強したい学生だけを教えたい、と切実に思っていたからです。
中国に続々と私立大学が出来始めたのは、7.8年前からでした。まさに中国の経済成長と機を一にしていました。国家の中堅たる大学生の養成こそ急務になったからです……。ところで、私は今までの見聞や経験から「国家の文化程度や成熟度は、トップクラスの人間ではなく、大学で言えば二流クラスの大学生の意識や行動にかかっている」と思っています。世界中、どの国でも優秀な一部のエリートは同じくらい優秀です。問題は中堅クラスの人材の量、考え方、行動ではないでしょうか。
<br />

<p><br />
というわけで、私の今勤めている私立大学（３年制の技術専門学校）は、格好のテストケースと言えるでしょう。最初の年、二年生の日本語会話を教えました。一クラス４０人ほど、多いですね。それを８クラスでしたが、私は日本人ですし、ある程度の学問があれば簡単だと思っていたのです。しかし、最初に戸惑ったのは、何よりも学生の日本語力が分からないことでした。学生は日本語を習い始めて一年経っているのですが、優秀な学生とダメな学生に完全に分かれていて、どこに標準を定めていいのか分からない、当然、中途半端になります。教えて一ヶ月ほど経ったある日、学部長に呼ばれて「父兄から校長に投書が来て、日本人の先生は教え方が下手だ、という抗議がきました」と言われ、妻と二人(妻も会話を教えていました)、しばらく悩みました。その後、私たちはいろいろ工夫をし、信用を得ましたが。<br />
<br /></p>

<p>その時感じたのは、＜父兄が口出しするのか！＞という驚きでした。中国人の先生に聞いてみると「大金を出しているのだから当然」という考え方でした。＜お金万能主義＞の今の中国人の現状を目の当たりにしている私は、納得するしかありません。学生は学生で我儘な一人っ子ばかりなので、「面白くないものや、すぐに役立たないと思ったものには鼻も引っ掛けない」という態度を取るのです。例えば、「このページを暗記してきなさい」といっても、誰もやってこない！　宿題なんか「あなた、しないの？　じゃあ、私も」というわけです。<br />
<br /></p>

<p>学生たちの平気な顔を見て、私は怒る気力をなくしました。それ以後、黙って授業中に抜け出す者、遅刻しても謝らない者、よく眠る者、大声でお喋りする者、メールをずっと打っている者が、いること、いること……。叱り付けても無駄。まさに＜カエルの面に小便＞でした。＜赤信号、みんなで渡れば怖くない＞のでしょう。いかりや長介ではないが「こりやダメだ」。全員が無気力で全く勉強しないクラスもありました。「彼らは親が金持ちなので、見栄のため大学に入れられた」という。日本語が全く出来ない日本語学部生とは、一体なんですか？　君たちは大学生ではないのか！　彼らは「どうせ、お金で卒業証書を手に入れる」といわれています。多くの学生は覚めた目で、「私立大学は企業です。お金儲けです。教育現場ではありません」といいます。もちろん、頭のいい子、頑張り屋さん、可愛い子、面白い子などもいて、それなりに楽しかったので、５年間続けられたのですが……。<br />
<br /></p>

<p>私はこの国に住み始めてから＜多勢に無勢＞ということを実感を持って知るようになりました。または、＜悪化は良貨を駆逐する＞ということも。時に、授業中のだらしない学生の姿を見ていると、私は＜千万人と言えども、我、行かん＞と言った孟子の気骨ある言葉を寂しく思い出すのです……。学校側は「半年過ぎてすぐまた戻ってきてください」といってくれました。嬉しいことは嬉しいですが、戻る気はありません。<br />
<br /><br />
<br /><br />
あとがき<br /><br />
「ご好評の「地べたから見た日中の交差点」は、筆者帰国のため、今回を持ちまして 終了させていただきます。ご愛読誠にありがとうございました。次回の新企画をどうぞお楽しみに！！」<br /><br />
 </td><br />
</tr><br />
</table></p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>第三十回　卓球ニッポンを支えた名選手・荻村伊知朗</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://j-senioronline.com/sports_classic/000119.html" />
<modified>2007-07-26T06:55:24Z</modified>
<issued>2007-07-26T05:20:43Z</issued>
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<created>2007-07-26T05:20:43Z</created>
<summary type="text/plain">   （文) スポーツジャーナリスト・白髭隆幸 協力：SPORTS 21   &amp;...</summary>
<author>
<name>junior</name>


</author>
<dc:subject>sports_classic</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://j-senioronline.com/">
<![CDATA[<table width="501" border="0" align="center" cellpadding="0" cellspacing="0">
<tr> 
<td align="right"><strong>（文) スポーツジャーナリスト・白髭隆幸</strong></td>
</tr>
<tr>
<td align="right">協力：SPORTS 21</td>
</tr>
<tr> 
<td>&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td>
5月、クロアチアのザグレブで世界卓球選手権が開催されました。卓球の世界選手権は、最近は個人戦と団体戦が隔年で開催されており、今回は個人戦の開催年でした。その模様を伝えたテレビ局が番組の頭で、「古の栄華は幻か…。さにあらず。新世代の救世主（メシア）降臨せり。日の丸に
新たなる希望が宿り、いま王国の逆襲がはじまる」と、高らかに宣言していました。
<br>

<p><br />
しかし、期待の日本選手は男子ダブルス一組が準々決勝に進出したのに留まり、福原愛も石川佳純も3回戦までに姿を消し、結局は卓球王国・中国の上位独占ということになりました。ただし、「古の栄華は」という一説に嘘はありません。かつて日本は、1950年代から70年代にかけ世界の卓球界のトップに君臨していた時代があったのです。<br />
<br></p>

<p>1952年、インドのボンベイで史上初めて世界選手権がアジアで開催され、男子シングルスで佐藤博治が、男子ダブルスで藤井則和・林忠明が、そして女子団体（当時は団体戦、個人戦が同時開催）と女子ダブルスで楢原静・西村登美江が優勝。7種目中４種目を制覇し「卓球ニッポン」の礎を築きあげました。翌1953年のルーマニアのブカレストで開かれた世界選手権には、外務省の許可がおりず不参加になりましたが、1954年大会のロンドン大会では男子団体と男子シングルスで荻村伊知朗、そして女子団体で優勝。卓球王国の地位を確固たるものとします。以後、日本選手は1979年の平壌（北朝鮮）大会まで、金メダルを絶やすことなく取り続けます。その中でも、とくに活躍したのが荻村伊知朗でした。<br />
<br></p>

<p>団塊の世代とっては卓球は身近なスポーツ。卓球台とラケット、ボールさえあれば誰でもできる気軽なスポーツ。どちらかといえば「ピンポン」と呼んだほうが、ふさわしいかもしれません。その時代のスパースターが「ミスター卓球」荻村伊知朗でした。荻村は世界選手権最多の12のタイトルホルダー。ヨーロッパ選手のシェークハンド、カット戦法全盛時に、革命的異変を起こしたのが日本のペンホルダーグリップによるスマッシュ攻撃でした。1952年ボンベイ大会で初出場を果たした日本は、スポンジラバーという反発力の強い新兵器を使って、ヨーロッパのカットを打ち抜き、男子シングルスで佐藤選手が優勝。<br />
<br></p>

<p>その後を継いだのが荻村で、厚さ7mmという当時では驚異のスポンジラバーを駆使して卓球の本場ロンドンで世界チャンピオンになり、世界を席巻しました。荻村は、1955年ユトレヒト（オランダ）大会で男子団体に優勝。1956年東京大会では団体、シングルス、ダブルス（富田芳雄とのペア）、1957年ストックホルム（スウェーデン）大会で団体と混合ダブルス（江口富士枝とのペア）、1959年ドルトムント（西ドイツ）大会で団体、ダブルス（村上輝夫とのペア）、混合ダブルス（江口富士枝とのペア）。1961年の北京（中国）大会で混合ダブルス（松崎キミ代とのペア）で優勝しています。<br />
<br></p>

<p>当時の日本の強さは、コースをつくロングサーブ、フットワークを使ったフォアロング、そして相手ボールが高く浮いたところを叩き込むスマッシュ、という３つの要素から成り立っていました。スポンジラバーは、反発力が強いため、ショート、ツッツキなどの小技防御に難しい技術が必要であり、スポンジと１枚ラバーを張り合わせたソフトラバーの使用で、より安定した戦法が確立されました。荻村のライバルとして同時代に2度世界チャンピオンになっている田中利明は裏ソフトラバーで王座につきました。<br />
<br></p>

<p>日本式ペンホルダーの出現は、卓球技術の大きな変革でした。選手は、体力、精神力を含めた強靭な心身を要求され、若さが大きな原動力となっていきました。荻野の後継者として木村興治、長谷川信彦、伊藤繁雄、河野満、小野誠治らが出現。卓球ニッポンは確実に継承されていきました。その後、「打倒ニッポン」を目標に台頭してきたのが中国でした。そして圧倒的な選手層と育成システムを確立した中国は、男女ともに日本にかわって世界を席巻していきます。<br />
<br></p>

<p>荻村伊知朗は現役引退後、卓球の普及、発展に力を注ぎ、ついには国際卓球連盟会長にまで登り詰めました。会長時代の実績は枚挙に暇がありませんが、中でも南北朝鮮の統一チーム結成に尽力し、不可能といわれていた冷戦時代に実現したのは見事でした。荻村は、世界選手権など世界中の要人が集まる機会に、貴賓席にはじっとしておらず、観客席の中にVIPがいるのを見つけると、自分からどんどんその席に赴き、ネゴシエイトしていました。日本人には珍しいタイプの国際派の一面も持っていました。<br />
<br></p>

<p>国際オリンピック委員会にも独自のネットワークを持っており、当時のIOC会長のファン・アントニオ・サマランチ氏も、荻村にたいして一目おいていたようです。1988年のソウル大会から卓球はオリンピックの正式競技になりますが、これも荻村に負うところが大きかったといわれています。また1998年の冬季オリンピックを長野に誘致したときも、荻村の力が大きかったともいわれいわれています。外国のスポーツ関係者からは「ミスターテーブルテニス」と称されたのも当然でした。<br />
<br></p>

<p>そんな荻村が、人生最後に力を入れていたのが、2008年夏季オリンピックの大阪招致でした。「スポーツパラダイス」を提唱し、1994年5月には大阪市議会の演壇に立ち、「政治やイデオロギーでオリンピックを招致する時代は終わりました。スポーツをするのにふさわしい環境を大阪が準備し、世界に提示することを考えた方がいいでしょう」と演説、「荻村メモ」とでも呼ぶべき文書を招致委員会のメンバーに託しました。「大阪」を「東京」に代えれば、そのまま現在でも活かせそうな話です。<br />
<br></p>

<p>すでに病魔に襲われていた荻村は、その3か月後、62歳の生涯を終えています。あまりにも若すぎる死、日本スポーツ界にとっては大きな損失でした。多方面で活躍した荻村伊知朗ですが、やはり卓球ニッポンの再生が一番大きな望みであったと思います。今回の世界選手権では惨敗に終わりましたが、来年の広州の世界選手権（団体）、北京オリンピック、そして再来年の横浜の世界選手<br />
権（個人）で、卓球ニッポンが復活されることを祈りたいものです。<br />
<br><br />
<br><br />
</p></td><br />
</tr><br />
<tr><br />
<td  align="center"><br />
<a href="http://click.linksynergy.com/fs-bin/click?id=W69lne5vPQg&offerid=122217&subid=0"><IMG alt="ゴルフダイジェスト・オンライン" border="0"  width="468" height="60" src="http://ad.linksynergy.com/fs-bin/show?id=W69lne5vPQg&bids=122217&gridnum=1&catid=-1&subid=0"></a><br />
</td><br />
</tr><br />
</table></p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>4.冗句人の巻</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://j-senioronline.com/kaikouken/000118.html" />
<modified>2007-06-27T07:49:18Z</modified>
<issued>2007-06-27T07:26:55Z</issued>
<id>tag:j-senioronline.com,2007://1.118</id>
<created>2007-06-27T07:26:55Z</created>
<summary type="text/plain"><![CDATA[   &nbsp;   （文）エッセイスト・池田佳代   &nbsp;   開高...]]></summary>
<author>
<name>junior</name>


</author>
<dc:subject>kaikouken</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://j-senioronline.com/">
<![CDATA[<table width="95%" border="0" align="center" cellpadding="0" cellspacing="0">
<tr> 
<td height="20" align="right">&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td align="right"><strong>（文）エッセイスト・池田佳代</strong></td>
</tr>
<tr> 
<td>&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td><div align="center" class="13pxl"><font color="#333333"><strong>開高健の美学には、トランジットライフをハッピーにする<br>
秘密とノウハウが詰まっている。</strong></font></div></td>
</tr>
<tr> 
<td>&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td align="center"><h2><font color="#999900">御鳴楽をしてもいいから小話は忘れるな</font></h2></td>
</tr>
<tr> 
<td height="43"><font color="#333333"> <br>
<img src="http://j-senioronline.com/images/spacer.gif" width="1" height="5">「たとえば、西洋の食事では、御鳴楽をするのはまあまあ許されるけれども、ゲップは御鳴楽よりも犯罪的であると言われていますが、御鳴楽をしてもいいから小話は忘れるな、というのが最大のエチケットでしょう」<br>
<br>
</font></td>
</tr>
<tr> 
<td> <table width="80%" border="0" align="center" cellpadding="0" cellspacing="0">
<tr> 
<td id="kakomikei"><font color="#333333">［証言］<br>
<img src="http://j-senioronline.com/images/spacer.gif" width="1" height="5"><br>
「男同士笑い話をお互いに競い合うんですね。もうメキシコからずっと夜はそういう場がいろいろありまして・・・・それもちょっとエッチな話をお互いやり合うわけです」（森啓次郎「ごぞんじ　開高健」Ⅱより）<br>
「ジョークのやり取りが間断なしに続くもんだから、ああ、これはとんでもない通訳を引き受けてしまったなと後悔しましたよ」（鯉渕信一（「ごぞんじ　開高健」より）</font></td>
</tr>
</table> 
<br>
<tr> 
<td><font color="#333333"><font color="#003366"><strong><br>
食事で小話するのはエチケット</strong></font><br>
　<br>
<img src="http://j-senioronline.com/images/kaikou_4/ken_kaikou_joke.jpg" alt="開高　健" width="246" height="130" hspace="10" vspace="10" align="right">あるパーティで久しぶりに会った素敵なおじ様とおしゃべりしていたら、「最近こってるの」といって小話を１つ耳元でささやいた。クスンと笑ったら「僕ね、もう覚えちゃったからタネ本プレゼントしたげる」と送ってくださったのが『食卓は笑う』。開高健氏の本だった。この本にはジョークの中で開高氏が出色と思ったものが50あまりも詰まっている。私は知らなかったけれど、「イギリス人もイタリア人もロシア人も、むっつりとしていると思われているドイツ人ですら」、食事の席ではみんな小話をするのがエチケットなんだそう。<br>
<br>
日本人は、西洋料理店ではまるで通夜の席みたいに黙りこくってごはんを食べるが、生きる歓びが濃厚に出るこの食事時にこそ、面白い話をして笑わせよう。国際情勢ますます緊迫しているなか、外交官は笑いを絶対に欠かすことはできない。外務省が大使、公使などを送り出すとき、新聞社が特派員、商社が駐在員を送り出すとき、成田空港でユーモア度テストをおやりなさい。など、痛烈な皮肉とユーモアをもってジョークが紹介されている。<br>
<br>
サイズは縦17センチ、横12センチで、開高氏の本としてはかわいらしい。初版は1982年12月１日。私の手元にあるのは３刷で同じ月の25日に発行されているから、よく売れた本だと思う。周りの人に「英語でジョークの一つや二つは言えるようになりたまえ」と開高氏は発破をかけていたようだが、お気に入りのジョークについては英訳までついている。直球しか投げられない不器用な私に、たまには変化球でも投げてみたら、というおじ様からのアドバイスだと思ってありがたくいただいたが、この本で開高氏のジョーク好きを始めて知った。<br>
<br>
</font></td>
</tr>
<tr> 
<td><font color="#333333"><font color="#003366"><strong>ジョークを飛ばせるのは男だけ</strong></font><br>
<br>
この本で紹介されたジョークは、政治についての微妙な話もあれば、アハッと大らかに笑えるものから、女の私にはちょっと口に出すのもねと思えるきわどいものまでいろいろである。それは後ほど紹介することにするが、開高氏はこの本のあとにまたジョーク集を出している（開高氏が亡くなった年である1987年の3月）。「水の上を歩く？酒場でジョーク十番勝負」。元週刊プレイボーイの編集長島地勝彦さんと、なんと10章にわたって自慢のジョークを飛ばしあっている。開高氏とは一晩中でもジョークをしゃべりあった、と回想した人の話を読んだときは、ほんとかな思ったけれど、けして大げさではなかったのだと納得した。<br>
<br>
もっとも、この本の中で開高氏は「女にもジョークのいい聞き手というのはいないではないと思うけれども、ジョークを聞かせる女には出会ったことがないな――日本でも、外国でも」といっておられる。ジョークとは男性の文化らしい。私はジョークのセンスも戦わせ方も知らなかったが、まあ許されるかなと思った。とにかく興味を持ったらとことんやる、という開高氏のエネルギーはジョークにも注ぎ込まれていたのである。<br>
<br>
</font></td>
</tr>
<tr> 
<td><font color="#333333"><font color="#003366"><strong>南米でも、モンゴルでも</strong></font><br>
<br>
開高氏に近い人たちの間では、氏のジョーク好きにまつわる証言はいくつもある。たとえば―――。<br>
<br>
アルゼンチンにはアサドという、肉を串にさして丸焼きにする料理があるが、男の人たちはたき火の前で笑い話をお互いに競いあうそうだ。「もうメキシコからずっと夜はそういう場がいろいろありまして、‥‥それもちょっとエッチな話をお互いやり合うわけです。開高さんがしゃべると、向こう側もそれを受けて何かしゃべる。そうすると、それを受けて、またしゃべる」（南北アメリカ大陸の縦断紀行に同行した新聞記者、森啓次郎さん）<br>
<br>
「開高さんはモンゴル人スタッフにしょっちゅうジョークを飛ばすわけですよ。するとモンゴル人もジョークが好きなものだから、ジョークを返してくる。ジョークのやり取りが間断なしに続くもんだから、ああ、これはとんでもない通訳を引き受けてしまったなと後悔しましたよ（笑）。日本側とモンゴル側が対立する緊張した場面が何度もありましたが、開高さんのこうした心配りがいつも緊張を和らげ、問題の複雑化を食い止めてくれたという感じでした」（「開高健のモンゴル大紀行」で通訳を担当した当時モンゴル国立大学交換教授、鯉渕信一さん）<br>
<br>
『食卓は笑う』では、西洋の食事に欠かせないと書いてあるけれど、ジョークが受けるのは欧米だけでない。ブラジル、いやモンゴルでだって開高氏は、礼節として用意したジョークを連発して、大いにうけていた。<br>
<br>
</font></td>
</tr>
<tr> 
<td><font color="#333333"><font color="#003366"><strong>人とのつながりを密にする秘密兵器</strong></font><br>
<br>
開高氏は、日本でも人のつながりを密にする秘密兵器としてジョークを楽しんでいた。<br>
<br>
「初めてお会いしたのは『伊勢源』という神田のあんこう鍋の店でした。初対面にもかかわらず、お互いにフランスとかロシアとかアメリカで仕入れてきたジョークを、いきなり飛ばし合い、身をよじり、涙を流しながら笑い合ったことを、いまでもときどき思い出します。あの人は笑うときは、百メートルぐらい離れたところにも届くほど豪快に、まさに呵々大笑なさいました。チャーミングな笑顔が本当に懐かしく思い出されます」（元リーダーズ･ダイジェスト社長で『食卓は笑う』に掲載されているジョークを英訳した塩谷紘さん）。<br>
<br>
開高氏に近かった人たちは、氏は見た目には豪快なイメージはあるけれど、実は繊細で、びっくりするくらい配慮が細やかな人だったと口を揃えていう。「お酒を飲みながら話していても、すごく気を使ってくれているのがわかるんです。退屈しないようにという感じでジョークやら、女性の前では話せないような艶笑小噺とかをまじえながら真面目な話も仕事上のアドバイスもしてくれる」（「オーパ！」シリーズのブック･デザイナー、三村淳さん）<br>
<br>
こういう話を読むと、気遣いの延長戦上にジョークがあったのだとも思わされる。ただ長く取材旅行などで一緒になると、やっかいなこともあったみたいだ。<br>
<br>
「先生といえどもそう年がら年中、新しいジョークを仕入れていたわけじゃないから、『あっ、また同じジョークを言っているな』と思うこともあるんです。でも『またそのジョークですか』なんて言ったら張り倒されるから（笑）口には出しはしませんでしたけどね」（「オーパ！」シリーズなどのカメラマン、高橋さん）<br>
<br>
「私はしまいに、同じ話を何度もきかされるものですから、もう二十種類ぐらいの話を覚えてしまったんですね」（森啓次郎さん）<br>
<br>
</font></td>
</tr>
<tr> 
<td><font color="#333333"><font color="#003366"><strong>ジョークは文化だ</strong></font><br>
<br>
高橋さんによると開高氏は「ダジャレだけは嫌いで、ダジャレを言うと本当に怒られましたから。でも、ジョークはいい、ジョークには文化があるから」といっていたという。開高氏自身もエッセイにこんなことを書いている。<br>
<br>
「慣用句や諺や小話は作者不詳のものが大部分であるが、その国の住人が歳月をかけて練りに練り、削りに削った英知が含まれているから、チョイ書きの文明などが足もとにも及べないリアリティーがある」。「（作家は）ときどきこういう簡潔にして深く、また広い英知に出会ってシャワーを浴びるということもしなければなるまい。後口なおしにそれらは絶好である」<br>
<br>
実際ジョークのクオリティをさらに高めるための努力も欠かさなかったようだ。また同じジョークかと思っても、よくよく聞いてみると微妙に違っていたという。<br>
「余分な部分を削って、大事なところを付け加えるという感じで、ちょっとねじってあるというか、同じでもその都度いじってある」（高橋さん）<br>
<br>
<br>
</font></td>
</tr>
<tr> 
<td><font color="#333333"><font color="#003366"><strong>キャビア男に気をつけて</strong></font><br>
<br>
開高氏がどんな顔をしてジョークをとばしていたのか興味がわくが、幸運にも録画できたビデオでそういうシーンを見つけることができた。1987年、開高氏が亡くなる2年前に放映された「キャビアキャビア」というテレビ番組である。昨年7月、開高氏の生の姿を見てみたいなあと思っていたとき、偶然衛星テレビの番組表で見つけた。熱い思いは偶然を呼び寄せるのですね。<br>
<br>
ニューヨークきってのキャビアレストランで、開高氏は当時の人気女優ブルック・シールズと会食をする。ぎこちなく始まった食事の雰囲気を何とか和らげようと、開高氏がいたずらを思いついた少年がよくするようなお茶目な目つきで話題を切り出す。「何しろ精がつきますから、キャビア男は恐ろしいですよ」。対して、ブルック・シールズがエレガントに切り返す。「キャビア女にも気をつけて」。<br>
<br>
開高氏の鋭さを残したお茶目な目つきがとってもかわいかったのでした。<br>
<br>
</font></td>
</tr>
<tr> 
<td><font color="#333333"><font color="#003366"><strong>面白くなくても笑ってあげなさい</strong></font><br>
<br>
</font>開高氏は、ジョークを楽しむための条件として、
<p>
<ul>
<li>・インテリはたいてい祖国の悪口を言うが、それに同調してはいけない</li>
<li>・人が小話を始めたら、ア、ソレ知ッテルといってはいけない</li>
<li>・下ネタ話をするときは一座のメンバーの気質がよくわかってからにする</li>
<li>・たとえ面白くなくても笑ってあげなさい。すばやく酒をグラスに入れて、乾杯！と叫んでまぎらしてしまうのも手である</li>
</ul></p>
など、まるで自分のことをケアするみたいにいろいろ書いている。さらに、ジョークに熟達するために、「頭の中で繰り返し練習をしてから話を始めること、余計な説明を入れないこと」。また「日頃聞かされてウンザリしている小話であっても客にとってははじめて聞く話だから、あなたが古ネタを話しはじめても奥さんはアクビをしたり、タメ息をついたりしないことを日頃からよくよく申し渡しておきなさい」ともいっている。<br>
<br>
脳科学者の川島隆太先生は、声に出して文字を読んだり、笑いあったり、コミュニケーションをとったりするのは、脳の活性化にとってもいいといっておられた。覚える、声に出す、笑わせる、余分をそぎとってクオリティを上げるといった特質を持ったジョークは、絶対脳を鍛えると思う。<br>
<br>
</td>
</tr>
<tr> 
<td align="center"> <table width="85%" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" align="center">
<tr> 
<td align="center" id="kakomikei"> <div align="left"> 
<table width="100%" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" align="center">
<tr> 
<td align="center"><font color="#003366"><strong>おすすめジョークをいくつか</strong></font><font color="#003366">&nbsp;</font></td>
</tr>
</table>
<br>
『食卓は笑う』から、開高氏推奨のジョークをいくつか紹介しよう。簡潔でわさびのきいたのをまず３つ。<br>
<br>
<br>
モスコーで。1人の男が書店へ入ってきて、『男は女の支配者』という本はどこにおいてあるかしらとたずねたら、店員がそっけなく、空想小説ならとなりの売り場ですと答えた。とか。<br>
<br>
<table width="100%" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
<tr> 
<td><div align="center">●</div></td>
</tr>
</table>
<br>
「独裁者と王様のちがいは？」「ハッキリしてます」「何でしょう？」<br>
「王様なら誰でもその父親のことをよく知っていますが、独裁者の父のことは誰も知りません」<br>
<br>
<table width="100%" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
<tr> 
<td><div align="center">●</div></td>
</tr>
</table>
<br>
西では童話は“むかし、むかし”で始まる。東では童話は“やがていつかは”で始まる。<br>
<br>
この本の中で好きなジョークはどれ？と聞かれて、開高氏がこの３つと答えたのが「北京の話」「パリで」「協力はすれども」である。私はとくに北京の話がすごく好き。開高氏も「普遍的な人間性というものをみごとにえぐっている」とほめている。最後にこのジョーク３つを紹介したいけれど、「協力はすれども」はちょっと私には書くにははばかられる言葉が入ってるので控えます。興味のある方は『食卓は笑う』を開いて読んでみてくださいね。<br>
<p><br>
<font color="#333333"><strong>北京の話</strong></font><br>
<br>
軍隊で、あるとき、いっせいに兵隊が、女房がこわいといいだした。どいつもこいつも口をそろえて、こわい、こわいという。女房がこわいようでは戦争なんかできないぞと、隊長は説教するが、兵隊は口ぐちに、戦争なんかヘッチャラです、今からでも行きます、だけど女房は戦争よりこわいですと、いいたてる。そこで兵隊の勇気をふるい分けてみようと思って隊長は命令をだす。女房のこわい兵隊は右へ出ろ。こわくないのは左へ出ろ。するとたちまち百人のうち九十九人の兵隊が右へ出た。左へ出たのは1人きりだった。隊長はその男のところへかけつけて、感動して、お前だけがほんとの人民英雄だと叫んで、肩をたたいた。するとその男は恐縮し、ひくいひくい声ではずかしそうに、いえ、ナニ、私、女房にいつも、みんなのあとについていってはいけないと、いわれつけてるもんですからと、答えた。<font color="#003366"><br>
<br>
</font><font color="#333333"><strong>パリで。</strong></font><font color="#003366"><br>
<br>
</font>ある夜、私がキャフェの椅子にすわってチビチビやってるところへたくましい若者がやってきて力自慢をする。レモンを1個とりあげ、全身の力をこめ、額に青筋をたて、歯を食いしばってにぎりしめるのである。ジュースがサッとほとばしるのを見て私は感動し、兄さん、お仕事は何を、とたずねると、若者は誇らしげに、オレは市場の労働者だがときどきジムへいってボディービルをしているのさと答える。そこへ一人の老人がヨチヨチと寄ってくる。咳はゴンゴン、喉はゼイゼイの御老体。それがブルブルふるえる指をのばし、ムッシュー、ちょっと失礼しますといって例のレモンをとりあげ、指さきでホンのかるくひねりひねったら、ジュースがザッと、最後の一滴までほとばしり、レモンはカラカラの干物みたいになる。若者と私が仰天し、異口同音に、お父さん、仕事は何してんのとたずねたら、老人はハニかんで、うなだれ、低い低い声で、イエ、なに、私ちょっと税務署に関係してますんでと、答えた。<br>
</p>
</div></td>
</tr>
</table></td>
</tr>
<tr> 
<td align="center"><img src="http://j-senioronline.com/images/spacer.gif" width="1" height="10"></td>
</tr>
<tr> 
<td align="right"><div align="right">取材協力 ： <a href="http://www.kaiko.jp/kinenkan" target="_blank">開高健記念館</a></div></td>
</tr>
</table>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>第二十九回　江川卓の東京六大学野球時代</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://j-senioronline.com/sports_classic/000117.html" />
<modified>2007-06-27T05:16:37Z</modified>
<issued>2007-06-27T05:12:29Z</issued>
<id>tag:j-senioronline.com,2007://1.117</id>
<created>2007-06-27T05:12:29Z</created>
<summary type="text/plain">   （文) スポーツジャーナリスト・白髭隆幸 協力：SPORTS 21   &amp;...</summary>
<author>
<name>junior</name>


</author>
<dc:subject>sports_classic</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://j-senioronline.com/">
<![CDATA[<table width="501" border="0" align="center" cellpadding="0" cellspacing="0">
<tr> 
<td align="right"><strong>（文) スポーツジャーナリスト・白髭隆幸</strong></td>
</tr>
<tr>
<td align="right">協力：SPORTS 21</td>
</tr>
<tr> 
<td>&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td>昨夏、高校野球で日本中をわかした「ハンカチ王子」こと斉藤佑樹（早稲田実）が早稲田大学に進学。久しぶりに東京六大学野球が脚光を浴びています。テレビもCS放送ながらレギュラー番組化し、早慶戦の前売り券も数時間で即完売になるほどの人気だそうです。

<p>4月14日、斉藤が初登場したのが開幕戦の対東大戦。1年生の開幕戦登板は77年ぶりとのことですから、ものすごく歴史的なことであることが分かります。ただし、たまたまテレビでその試合を見た印象を言わせていただければ、「なんだ、斉藤人気でもこれくらいの観客しか入らないのか？」というのが偽らざる心境でした。</p>

<p>かつての東京六大学野球は、毎試合神宮球場が満員になる人気がありました。プロ野球ができる以前、そしてできた後も全国的な人気を誇っていたのです。たまたま、わたしが大学に入学するため上京した年も、甲子園で活躍した球児が大量に入学したため今以上の人気を博していました。</p>

<p>法政には袴田英利（静岡自動車工）、植松精一（静岡）、島本啓次郎（箕島）、佃正樹（広島商）、金光興二（広島商）、楠原基（広島商）、徳永利美（柳川商）。早稲田には山倉和博（東邦）、道方（箕面自由学園）、白鳥（静岡）らが入学しています。</p>

<p>しかし、何と言っても注目を浴びたのが作新学院から法政に入学した江川卓でした。作新学院時代から数々の記録を打ちたて「怪物くん」の異名をとった江川でしたが、作新学院では江川のワンマンチームであったため江川一人に注目が集まり過ぎ、チームメイトからは孤立し、江川自身もマスコミに対して不信感をいだき軋轢を生んだといいます。</p>

<p>ともかく、江川卓が高校3年生になった年は、よくも悪くも高校野球の話題は、江川一色になりました。春の選抜では自己の連続無失点記録を139イニングまで伸ばし、最多奪三振記録も更新（33イニングで60個）。その勢いは夏にも続き、栃木大会では44イニング無失点、奪三振75、決勝を含む3試合がノーヒットノーラン。高校通算では完全試合2試合、ノーヒットノーランを12回も記録しています。</p>

<p>ところが、作新学院は江川のワンマンチームだっただけに、簡単には試合に勝てず、優勝からほど遠いチームでした。甲子園最後の試合となった銚子商業戦も雨の中、延長戦にもつれ込み12回裏に一死満塁から押し出しのフォアボール。サヨナラ負けを喫してしまいます。その直前、マウンドで円陣を作った作新学院のチームメイトが、「江川のお陰でオレたちはここまで来れた。だから江川自身が悔いの残らぬよう、江川が投げたい球を思いっきり投げろ」と言ったと伝えられています。江川卓も後年、「最後の一球、あの時はじめてチームが一つになったような気がする」と語っています。</p>

<p>江川卓は最初は法政でなく慶応進学を目指しました。しかし、入学試験に失敗。浪人の道を選ばず、法政進学に進路を変更します。が、受験勉強の影響などで体重が増え、90kgを越してしまっていたようです。鳴りもの入りで六大学に飛び込んだものの、斉藤佑樹とは異なり即戦力は無理、1年の春は出場はないだろう、といわれていました。</p>

<p>江川と同学年だった私は、春のシーズンからせっせと神宮球場に通いました。そして５月25日、対東大1回戦に江川は六大学公式戦に初登板を果たします。法政が6-0とリードした８回から2イニング、打者７人に対して三振３、四球1の失点０。無難な神宮デビューでした。初球は打者・高橋に対して高めのストレート。1塁側スタンドへのファールになりましたが、初めてみる生（なま）江川の投球はとてつもなく速い球と感じました。東大の選手としては21年ぶり５回目の首位打者となる遠藤昭夫を3球三振に打ち取って江川の初登板は幕を閉じました。ちなみに、この日は江川の19回目の誕生日でした。</p>

<p>江川の登板は1試合だけに終わったこの春のシーズンは早稲田が優勝したのですが、それ以後、3年間8シーズン、優勝から遠ざかります。わたしの５年生（？）の秋まで早稲田は優勝できず、反対に江川・法政の快進撃が始まります。1年生の秋、東大に初黒星を喫したものの6勝をあげ、同級生の中林千年との1年生コンビで10勝をあげ、法政は完全優勝を果たします。</p>

<p>2年生の春は、島岡御大が率いる明治が打倒・法政を果たします。江川自身も8勝をあげるのですが、明治との初戦では大学初となる2ケタ安打を喫し、延長10回で2-3で惜敗。決勝の第3戦はピッチャーの丸山清光主将にホームランを打たれての敗戦。1年生の秋に続きベスト9に選ばれますが、満足できないシーズンに終わります。</p>

<p>2年生の秋も明治の勢いが続きます。開幕戦から東大に二連敗を喫した明治ですが、その後、巻き返して天王山の法政戦では丸山主将が力投、特に2回戦では延長14回を1人で投げきり1-0の勝利。2勝をあげて優勝を飾りました。江川は、右肩に不調を訴え、大事な法明戦に登板できず、ベスト９の座も丸山に譲ってしまいました。このころの六大学の主導権は完全に法明戦に移っていました。</p>

<p>“お祭り”で満員になる早慶戦と異なり、法明戦は平日でも満員の盛況でした。普通は閉鎖している第2内野席も、押し寄せるお客さんを入れるために開放。第１内野席から第2内野席につづく橋は、試合終了まで人が絶えることがありませんでした。</p>

<p>3年の春からいよいよ法政・江川の本格的な快進撃が始まります。法政は早稲田と慶応に第４戦までもつれ込む苦戦でしたが、高橋三千丈、鹿取義隆の2人で開幕から８戦全勝できた明治に雪辱、3季ぶりの優勝。江川は12試合に登板、80イニング３分の1を投げ6勝1敗、防御率0.56の成績でベスト９の座にも返り咲きました。</p>

<p>3年生秋のシーズンも江川の活躍は続きます。天王山となった早稲田戦では3試合連続完投の離れ業をみせ、10試合に投げ8勝2敗防御率0.74の好成績。打撃部門でも3割4分2厘でリーグ2位、2本塁打を含む10打点（リーグトップ）。まさにスーパープレーヤーの活躍を見せました。</p>

<p>そして迎えた4年生のシーズン。春は8試合に登板、5試合をシャットアウト、残り3試合も完投。防御率0.50、8勝無敗でベスト９を守り3連覇を果たします。そしてラストの秋シーズン。法政は圧倒的な力で勝ち点5の完全優勝。二度目のリーグ4連覇を果たします。江川自身も六大学の投手記録を次々と塗り替えます。通算勝利記録こそ先輩・山中正竹のリーグ新記録48勝に1個及びませんでしたが、通算完封記録17、通算奪三振443はリーグ新記録。ベスト９も8シーズンで６回。その他、最多勝６回、最多完封５回、防御率１位３回、最多奪三振７回など5部門のトップに立つこと合計22回。これは六大学史上最多。空前絶後の成績です。</p>

<p>東京六大学野球連盟は、江川卓の最後のシーズン、入場券の大幅値上げに踏み切ります（たしか学生券150円を300円に、内野席券300円を500円に）。六大学連盟役員の方々も、江川たち黄金時代の選手たちが卒業したあとの人気凋落を、ある程度予想していたのかもしれません。実際にそうなってしまいます。六大学野球は、徐々に人気をさげ、ほんとうのコアのファンだけが神宮球場に足を運ぶようになってしましました。</p>

<p>江川卓のことは、わたしと大学の入学年が同じこともあって、ずっと気になっていました。「空白の1日」を利用しての電撃ジャイアンツ入団。そして阪神に入団してからの巨人トレード。プロ野球では悪いイメージがついて回りましたが、なぜか気になる存在でした。そしてジャイアンツ退団にまつわる話のときも、ちょっとショックでした。それはミスタープロ野球・長島茂雄の退団の時に団塊の世代の皆さんが感じたのと同じような心境だと思います。同じ時代に学生時代を過ごした象徴的存在が現役を引退。それは、ちょっと寂しいことでした。</p>

<p>江川卓は、あえて指導者の道に入らず、解説者に徹しています。それも何故か分かるような気がします。でも、もし法政の監督に、とオファーがあったら、再びユニホームを着て神宮球場のベンチに入ってほしいな、とも思います。わたしにとっては、ジャイアンツのユニホームよりも「HOSEI」のユニホームの方が江川卓にとって、ふさわしいものだ、と思っているのです。</p>

<p>はたして斉藤佑樹は、江川卓を越えることができるのでしょうか。とりあえず、1年生の春シーズンにだけ限れば斉藤のほうが勝っています。これから再び神宮球場に満員のお客さんが集まるよう、そんな活躍を見せてほしいと願っています。<br />
<br><br />
<br><br />
</p></td><br />
</tr><br />
<tr><br />
<td  align="center"><br />
<a href="http://click.linksynergy.com/fs-bin/click?id=W69lne5vPQg&offerid=122217&subid=0"><IMG alt="ゴルフダイジェスト・オンライン" border="0"  width="468" height="60" src="http://ad.linksynergy.com/fs-bin/show?id=W69lne5vPQg&bids=122217&gridnum=1&catid=-1&subid=0"></a><br />
</td><br />
</tr><br />
</table></p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>第十五回　こんなにも違う日本とアメリカの警察ドラマ</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://j-senioronline.com/tv_classic/000116.html" />
<modified>2007-06-26T05:42:49Z</modified>
<issued>2007-06-26T05:35:59Z</issued>
<id>tag:j-senioronline.com,2007://1.116</id>
<created>2007-06-26T05:35:59Z</created>
<summary type="text/plain"><![CDATA[   &nbsp;    よれよれのレインコートは刑事のトレードマーク 「この物...]]></summary>
<author>
<name>junior</name>


</author>
<dc:subject>tv_classic</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://j-senioronline.com/">
<![CDATA[<table width="504" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
<tr> 
<td>&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td> <h2><strong><font color="#996600">よれよれのレインコートは刑事のトレードマーク</font></strong></h2>
<p><img src="http://j-senioronline.com/images/tv/15/01.gif" alt="ダイヤル１１０番" width="250" height="199" hspace="5" align="right">「この物語はフィクションであり、登場する人物、団体などの名称はすべて架空のものです」と断るのが、ドラマでは当り前なのに、「このドラマは事実に基づいて構成され、資料はすべて警視庁、警察庁、全国警察から寄せられたものです」という、驚くべきナレーションではじまるのが『ダイヤル１１０番』だった。	
<br>
<br>
『ダイヤル１１０番』は、１９５７年９月にスタートした本格的な“捜査もの”の草分け的番組で、現実の事件をリアルに再現していた。生放送の時代に、ドラマの半分近くをフィルムで撮っている。フィルムによるロケのリアリティーと生放送という構成が、ドキュメンタリータッチのドラマとしての緊迫感をうみ、人気があったのだ。 
刑事役には、松村達雄、中谷一郎、鈴木瑞穂、加藤武といった、今でこそ名前が知られているが、当時はまったく無名だった俳優が起用されたことも、ドキュメンタリータッチとマッチしていた。５７年といえば、緊急電話が１１０番に統一されたばかりの頃。その告知に功労があったということで、５８年６月には、警察庁長官の感謝状が、スポンサーの三菱重工に贈られたとのこと。警察の全面協力番組だったんですね。<br>
<br>
日本で最初の本格的刑事ドラマとなると、警視庁捜査一課の七人の刑事の捜査活動を描いた『七人の刑事』だろうね。赤木主任の堀雄二、沢田部長刑事の芦田伸介、杉山刑事の菅原謙二、南刑事の佐藤英夫、中島刑事の城所英夫、小西刑事の美川陽一郎、久保田刑事の天田敏明の七人だ。６１年から１話完結の１時間番組として開始されたのだが、その前は菅原謙二と城所英夫を除く５人のレギュラーで『刑事物語』として、２回完結の３０分番組として放送されていた。	
<br>
<br>
<img src="http://j-senioronline.com/images/tv/15/02.gif" alt="七人の刑事" width="250" height="182" hspace="5" align="left">七人の刑事の中で、最も存在感があったのが、芦田伸介の沢田部長刑事だった。よれよれのレインコートにハンチング。レインコートの前のボタンをはずして、コートのすそを風になびかせて歩く。ドスのきいたボソボソと押しつぶしたような声に、傷痕を残す面構えは、まさしくこれぞ刑事といった感じだった。よれよれのレインコートがトレードマークの刑事コロンボより、芦田伸介が１０年も前にスタイルを確立してるんだよ。『七人の刑事』は、たんに犯人を捕まえるだけのドラマでなく、日本復帰前の沖縄問題とか、在日朝鮮人問題とかいった社会的背景や、犯人に対する刑事の人間性、社会的矛盾から発生する犯罪に対する刑事の葛藤など、シリアスな内容となっていた。桜田門界隈の遠景から、旧警視庁の建物がアップになるタイトルバックに流れるＺ・デチネの哀愁を帯びたハミング。ドラマと相まって、今でも耳に残っているよ。 
<br>
<br>
</td>
</tr>
<tr> 
<td>&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td><h2><strong><font color="#996600">警察ドラマのいろいろ</font></strong></h2></td>
</tr>
<tr> 
<td>&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td><p>テレビにおける最初の外国製警察ものといえば『ハイウェイ・パトロール』だったが、同じ製作スタッフの同種のものとして『ハーバー・コマンド』があった。海上犯罪を追求する港湾警察の活躍を描いたもので、モーターボートやヘリコプターを縦横に駆使した水空一体の追いかけ劇が売り物だった。しかし、ロバート・バクスター隊長役のウェンデル・コーリイが地味で、『ハイウェイ・パトロール』ほど印象に残っていない。</p>
<p>それとは逆に、『哀愁』などでお馴染みの往年の二枚目スター、ロバート・テイラーが主演していたのが『ミステリー６１』だった。大都会ニューヨークを舞台に、市警の選りぬきの刑事チームが活躍する犯罪捜査ドラマだよ。ロバート・テイラーが部長刑事で、ほかに部下の刑事３人がレギュラーで、彼らの生活と事件を組合せたドラマ展開だった。</p>
<p>ロバート・テイラーといえば、美男俳優としてＭＧＭのトレード・マーク的スターとして活躍したが、この当時は年齢相応に渋さを売り物にするようになっていた。しかし、演技はお世辞にもうまいとはいえず、大根ぶりが目立った。主演のテイラーよりも、若いクリス・バラード刑事役のマーク・ゴダードが、苦味とさわやかさを備えており、いい味を出していたよ。</p>
<p>推理小説ファンなら誰でも知っている、エド・マクベインの同名警察小説のシリーズをテレビ化したのが『８７分署』だった。原作では架空都市アイソラの警察分署だったが、テレビでは国際港と摩天楼にはさまれたマンハッタン地区を管轄する、ニューヨーク警察８７分署となっていた。もともとアイソラのモデルはニューヨークだから、原作を読んだ人が観ても違和感はなかったんじゃないかな。小説は１９５６年に発表された『警官嫌い』から、９０年の『晩課』まで４２冊出ている。同シリーズは数多く映画化されており、黒沢明の『天国と地獄』も、同シリーズの『キングの身代金』が原作だった。私が“８７分署シリーズ”を知っているのは、テレビや映画を通してであり、恥ずかしながら原作は１冊も読んでいないんだよ。</p>
<p>さて、テレビの『８７分署』に戻ると、スティーブ・キャレラ（ロバート・ランシング）、ロジャー・ハヴィランド（グレゴリー・ウォルコット）、バート・クリング（ロン・ハーパー）、マイヤー・マイヤー（ノーマン・フェル）の４人の刑事の捜査活動が、人種の坩堝であるニューヨークの通りや、風物を背景に展開される。 
善良な市民を食い物にするギャングや、殺人者を追う刑事たちの活躍に加えて、彼らの私生活が、いかにも人間臭く描かれていた。特にスティーブ・キャレラと、彼の美しい唖の妻テディ（シーナ・ローランズ）とのやりとりは秀逸だった。 
期待して観ていたのに、３０回で打ち切られたのには腹がたったね。蛇足ながら、スティーブ・キャレラの声を担当していたのは西村晃だったんだよ。 <br>
<br>
</p>
<table width="360" border="0" align="center" cellpadding="0" cellspacing="0">
<tr> 
<td width="150"><img src="http://j-senioronline.com/images/tv/15/03.gif" alt="ミステリー６１　ロバート・テイラー" width="131" height="200"></td>
<td valign="baseline"><img src="http://j-senioronline.com/images/tv/15/04.gif" alt="８７分署　左から２番目がスティーブ・キャレラ" width="230" height="161"></td>
</tr>
<tr> 
<td>ミステリー６１<br>
ロバート・テイラー<br></td>
<td>８７分署<br>
左から２番目がスティーブ・キャレラ</td>
</tr>
</table>
<p><br>
</p></td>
</tr>
<tr> 
<td>&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td align="right">資料提供 ： Ｎｏｓｔａｌｇｉｃ　Ｗｏｒｌｄ</td>
</tr>
<tr> 
<td align="right">&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td>次回は「憶えていますか？こんなＴＶ番組」を掲載します。お楽しみに！</td>
</tr>
<tr> 
<td  align="center"><br> <a href="http://click.linksynergy.com/fs-bin/click?id=W69lne5vPQg&offerid=53128.10000255&type=4&subid=0"><IMG alt="Sony Music Shop" border="0" src="http://www.sonymusicshop.jp/affiliate/images/life_with_music468x60.jpg"></a><IMG border="0" width="1" height="1" src="http://ad.linksynergy.com/fs-bin/show?id=W69lne5vPQg&bids=53128.10000255&type=4&subid=0"> 
</td>
</tr>
</table>]]>

</content>
</entry>
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<title>第十一回　中国の世界一</title>
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<modified>2007-06-26T05:04:32Z</modified>
<issued>2007-06-26T04:42:07Z</issued>
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<summary type="text/plain"><![CDATA[   &nbsp; （文）上海工商外国語学院 客員教授・中本　洋 &nbsp; ...]]></summary>
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<![CDATA[<table width="90%" border="0" align="center" cellpadding="0" cellspacing="0">
<tr> 
<td height="20">&nbsp;</td>
</tr>
<tr>
<td height="20" align="right"><strong>（文）上海工商外国語学院 客員教授・中本　洋</strong></td>
</tr>
<tr>
<td height="20">&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td>時々、中国のインターネットの「日中関係の論壇」を読んでいますが、今の中国人の「日本観」が窺われて面白いです。しかし、一方的な罵詈雑言が多く。正直読むのが嫌になります。タイトルに＜漢奸＞＜小日本＞＜倭奴＞＜日本鬼子＞＜媚日派＞などの日本に対する侮蔑語があれば、たまりません。「日本は謝罪しろ」「日本製品ボイコット」「日本人、くたばれ！」などばかりです。小泉前首相の靖国問題が政治問題化して以来、激しさが増しました。発言者は「憤青」（憤る青年）と呼ばれ、あらゆる不満の捌け口を日本に向けている感じです。ただ、闇雲な日本攻撃にたいして、彼らを諌める論調も時々出てきますが、それも「憤青」にすぐ「漢奸」「媚日派」などと反撃される始末で、「人を罵るのが好きで、自己反省を全くしない中国人」（ある中国知識人）の面目躍如たるものがあります。<br />
「憤青」の心情は、基本的に「戦後大復興した日本への羨望と嫉妬」そして、日本に対する過度の「尊大な被害者意識」などのない交ぜになった複雑なものと思いますが、「聞く耳持たぬ」という彼らの姿勢にとても付いていけませんでした。<br />
　<br />
ところで、昨年9月の安倍総理の訪中以来、日中関係のネットのトーンが大いに変化してきました。政府の態度の変化にすばやく対応したかのように、「自国の状態を正しく認識し」、そして「日本を正しく分析しよう」というものが多くなってきたのです。日本分析にもいい論文があったり、「憤青」に対する鋭い反撃がでたり、自国批判するなど、客観的な論調が増えてきたのです。少しはいい傾向になってきていると思います。<br />
そこで、今回はユニークな「中国の世界一はどれくらいあるか、君達知っているかい？」というある中国人若者の記事をご紹介しましょう。これは日本とは直接関係ありませんが、自国の分析を冷静にしている点で、「お主、なかなかやるわい」と思わせるものです。<br />
<br />
<table width="100%" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
<tr> 
<td width="3%" valign="top">1、</td>
<td width="97%">医療保険に入っていない人は世界一で、１３億人中、８．４５億人が未加入です。公費の乱費も世界一で、中国の役人は毎年３０００億人民元を勝手に使っている。</td>
</tr>
<tr> 
<td valign="top">2、</td>
<td>死刑の案件は世界一。中国では毎年死刑判決の後すぐ処刑で、一万件。おそらく世界の総数の５倍。</td>
</tr>
<tr> 
<td valign="top">3、</td>
<td>中国の役人比率は世界一。民間人の２８倍（一説には１８倍）</td>
</tr>
<tr> 
<td valign="top">4、</td>
<td>中国の貿易依存は世界一。約８０％で、他の発展国や発展途上国よりはるかに高い。</td>
</tr>
<tr> 
<td valign="top">5、</td>
<td>労働時間は世界一。中国は今や世界の中で労働時間の最も長い国家で、日本や韓国よりも長い。残業も多く、毎年の過労死は６０万人。</td>
</tr>
<tr> 
<td valign="top">6、</td>
<td>自動車事故と死亡者も世界一。（交通規則を守らないのは普通ですからね＝筆者）</td>
</tr>
<tr> 
<td valign="top">7、</td>
<td>中国の道路は世界で最も不安全である。２００６年の前半６ヶ月に交通事故死者は４万人、怪我人は２２万人を超える。（私も何度も事故を目撃しています＝筆者）</td>
</tr>
<tr> 
<td valign="top">8、</td>
<td>わが国の炭鉱採掘１００トン以上での死亡率世界一。２００４年の死亡率はわが国は３．９６．アメリカは０．０３９．なんとアメリカの100倍。</td>
</tr>
<tr> 
<td valign="top">9、</td>
<td>中国の不動産業は世界一。中国の家賃と年収のの比率は１２：１．世界第一。中国の不動産業の利益率は３０％、これも世界一。</td>
</tr>
<tr> 
<td valign="top">10、</td>
<td>中国の大学の4年間の学費は、農家が飲まず食わずして稼いだ41年間の所得に匹敵。これは、世界第二位の学費が高い日本の3倍。</td>
</tr>
<tr> 
<td valign="top">11</td>
<td>中国の出稼ぎ農民の賃金はメキシコや隣国のベトナムよりも低く、世界最低。</td>
</tr>
</table>
<br />
その他、＜中国の肺がん死亡率世界一＞＜中国の自殺世界一＞＜贋物造り世界一＞＜浪費天国＞＜中国の汚職役人世界一、外国への持ち逃げ額も世界一＞＜中国のＧＤＰ中、環境対策費世界一＞＜中国の国民資産の流失世界一＞、＜中国の農民負担世界一＞＜中国の信仰危機も世界一＞＜中国の大学生の数、世界一、失業率も世界一＞＜中国人の海外での購買額は平均987ドル、これも世界一＞皆さん、中国理解に役立ちましたか？ </td>
</tr>
</table>]]>

</content>
</entry>
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<title>第十四回　仮面の下はどんな顔？</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://j-senioronline.com/tv_classic/000113.html" />
<modified>2007-06-06T01:13:25Z</modified>
<issued>2007-06-06T01:12:07Z</issued>
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<summary type="text/plain"><![CDATA[   &nbsp;    『七色仮面』は夜店で売っていた 宣弘社の生み出したヒー...]]></summary>
<author>
<name>junior</name>


</author>
<dc:subject>tv_classic</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://j-senioronline.com/">
<![CDATA[<table width="504" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
<tr> 
<td>&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td> <h2><strong><font color="#996600">『七色仮面』は夜店で売っていた</font></strong></h2>
<p><img src="http://j-senioronline.com/images/tv/14/01.gif" alt="七色仮面" width="139" height="150" hspace="10" align="right">宣弘社の生み出したヒーローが安上がりにできていたのに対して、東映テレビ映画が生み出した『七色仮面』は違っていた。もともと劇場公開を前提に作られたせいか、アクションひとつとってみても迫力があった。それに、七色仮面のコスチュームも金がかかってそうだった。宇宙服のようなコスチュームに七色に輝く仮面をつけている。白黒テレビだけど七色に輝くように見えたんだよ。とにかく安っぽい仮面でなかったことは確かだ。月光仮面やハリマオは風呂敷で代用できたのだが、七色仮面はオモチャ屋か、縁日やお祭りでの露店で売られているセルロイドのお面を買うしかなかった。ゴムひもで顔にくくりつけるやつである。私も親に買ってもらって、七色仮面になったのだが、仮面のままで喋っているとだんだん息苦しくなり、長時間の着用は困難だった。
<p>私が住んでいた広島では、日曜の朝９時から放送していたが、第４部＜スリーエース＞だけが放映されたような気がする。主人公の名探偵・蘭光太郎に。波島進が出演するだけで私はうれしかった。というのは、当時の私にとって身近な大スターだったからだ。</p>
<p>波島進が主演した映画の『七色仮面』は見ていないが、『少年探偵団』は見ていた。ラジオの人気番組に『少年探偵団』があり、それを東映が“少年探偵団シリーズ”として映画化し、波島進の明智小五郎のファンになっていたのだ。波島進イコール名探偵という図式が私の頭の中に出来あがり、少年たちと活躍する身近な存在として形成されていたからである。それにしても『七色仮面』は拳銃の射ち合いの多いテレビ映画だった。高笑いとともに七色仮面がぶッ放す二挺拳銃の弾丸は無尽蔵だった。</p>
<p><img src="http://j-senioronline.com/images/tv/14/02.gif" alt="七色仮面" width="181" height="150" hspace="10" align="left">波島進の七色仮面は第４部で終了し、当時東映のニューフェースだった千葉真一が蘭光太郎になる『新・七色仮面』が始まるのだが、全く記憶にない。見ていたら、かすかでも憶えているだろうから、広島では放映されなかったのではないだろうか。同じ千葉真一主演の『アラーの使者』は、日曜の朝９時の時間帯で見ているので不思議な気がする。</p>
<p>『アラーの使者』は、アラーの使者が砂漠の中を白馬で行くタイトルだけは憶えているが、内容については殆ど記憶にない。千葉真一のバクテンするアクションがかすかに残っているくらい。日本人なのにアラーの使者というのが、子ども心に違和感があり、感情移入できなかった。原作は『月光仮面』『七色仮面』の川内康範。川内康範が創出した悪人は、殆どが奇怪な仮面をかぶっているのだが、『アラーの使者』は、悪人のイメージさえ浮かんでこないのだ。川内康範原作の仮面ヒーローは、よく考えると正体を隠す必然性がなにもないのだ。仮面のヒーローの正体は、世間でも認めている名探偵なのだから、素顔のままでも事件を解決できる能力を持っているのだ。敵を油断させるためだったら、正体はヘッポコ探偵でなければならない。今から考えると理屈にあわない主人公であった。</p>
<p><br>
<table width="100%" border="0" cellpadding="0" cellspacing="0">
<tr> 
<td align="right">&nbsp;</td>
</tr>
</table></td>
</tr>
<tr> 
<td>&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td>&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td><h2><strong><font color="#996600">スポンサーの名のついた『ナショナルキッド』</font></strong></h2></td>
</tr>
<tr> 
<td>&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td><img src="http://j-senioronline.com/images/tv/14/04.gif" alt="ナショナルキッド" width="206" height="150" hspace="10" align="left">日曜朝８時３０分には『ナショナルキッド』があった。タイトルで誰でも予想できるように、提供スポンサーは松下電器である。『ナショナルキッド』と同様に、スポンサーの名をつけたものに『ソニー号空飛ぶ冒険』というのもあった。提供していたのは、もちろんソニー。ヘリコプター・サービス会社のパイロット二人組が、怪我人の救助や医薬品の運搬、はては犯罪者の追跡までするアメリカＴＶ映画で、彼らの操縦するヘリコプターがソニー号なのだ。日本語に吹き替える時に勝手にソニー号と命名しただけである。 
<p>タイトルにはスポンサー名こそ出ないが、大村崑が主演した『とんま天狗』も本名は倉田典膳ならぬ尾呂内南公であった。スポンサーは大塚製薬で、そこの主要商品がオロナイン軟膏とくれば、言わずもがなである。これで思い出したが、前述の『アラーの使者』も提供がカバヤ食品で、カバヤン王国の末裔であるココナツ殿下を助けて、アラーの使者が闘うという設定になっていた。カバヤ食品の主力商品がココナツキャラメルだったのだ。</p>
<p>ほかにも少年忍者が活躍するアニメ『風のフジ丸』は、原作が白土三平の『忍者旋風』で、その主人公の少年忍者の名前は小太郎だった。フジサワ薬品の提供だったからフジ丸になったのだろう。学園アニメ『ハリスの旋風』の提供はハリスガム。当時は、今と違って一番組一社提供が主流だったので、このようなことができたのだろう。</p>
<p><img src="http://j-senioronline.com/images/tv/14/03.gif" alt="ナショナルキッド" width="224" height="150" hspace="10" align="right">さて、『ナショナルキッド』に話を戻すが、ナショナルキッドが持っていた武器にエロルヤ光線銃というのがあり、それが松下電器の売出した変型懐中電灯にそっくりだった。レーザー光線に似た光を発し、空飛ぶ円盤だって撃ち落としてしまう。ほうれん草の缶詰の売上げ拡大を狙って『ポパイ』を製作したアメリカのスポンサーに負けない松下の商魂であった。</p>
<p>『ナショナルキッド』は、第１部＜インカ族の来襲＞、第２部＜海底魔王ネルコン＞、第３部＜地底魔城＞で完結する。ナショナルキッドは、宇宙からの使者で、戦う相手は地球征服を目指す宇宙人や海底人、地底人といった連中で最もＳＦ的であった。とくにネルコン魔王の率いる海底人は、アマゾンの半魚人というかトカゲ人間というか、その造形で画面にひきつけられた。ナショナルキッドのT字型に両腕を水平に伸ばして飛ぶ飛行スタイルは、両腕を前方に伸ばして飛ぶスーパーマンよりカッコよかった。何かで読んだのだが、飛行シーンをピアノ線が見えたりする人形の操演でなく、合成方式という当時でも屈指のSFX技術を使っていたとのこと。製作したのが東映テレビ映画で、１本あたり百万円の製作費をかけていたとのことで、出来ばえが素晴らしいのは当り前かな。　</p>
<p><img src="http://j-senioronline.com/images/tv/14/06.gif" alt="海底人８８２３（ハヤブサ）" width="127" height="200" hspace="10" align="left">東映テレビ映画のＳＦアクションが『ナショナルキッド』であれば、『海底人８８２３（ハヤブサ）』は、大映テレビ室が製作したＳＦアクション。海底王国エルデよりの使者８８２３が、及川博士の数式を狙うブラックスター団と戦う物語。原作者は東宝怪獣映画『空の大怪獣ラドン』や『大怪獣バラン』の黒沼健。私が見たのは再放送分で、それも途中からだ。主人公の８８２３が赤土に足を滑らせ、大事なベルトがはずれて死にかけているところを、イサム少年に助けてもらうという、伝説的ズッコケシーンは残念ながら見ていない。<br>
<br>
<br>
イサム少年が、お礼にもらった３万サイクルの笛を吹くと、地上の平和を守るため、背ビレが波を切って８８２３がやってくる。ジョーズじゃないですよ。海中から出現するというのはユニークなのだが、山奥で助けを求められたらどうするのだろう。８８２３が、ただ突っ立ているだけのタイトルも、陳腐さゆえに強烈な印象が残っている。マンガはカッコよかったのにね。<img src="http://j-senioronline.com/images/tv/14/05.gif" alt="海底人８８２３（ハヤブサ）" width="151" height="197" align="right"></p>
<br> <br> </td>
</tr>
<tr> 
<td>&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td align="right">資料提供 ： Ｎｏｓｔａｌｇｉｃ　Ｗｏｒｌｄ</td>
</tr>
<tr> 
<td align="right">&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td>次回は「こんなにも違う日本とアメリカの警察ドラマ」を掲載します。お楽しみに！</td>
</tr>
<tr> 
<td  align="center"><br> <a href="http://click.linksynergy.com/fs-bin/click?id=W69lne5vPQg&offerid=53128.10000255&type=4&subid=0"><IMG alt="Sony Music Shop" border="0" src="http://www.sonymusicshop.jp/affiliate/images/life_with_music468x60.jpg"></a><IMG border="0" width="1 height="1" src="http://ad.linksynergy.com/fs-bin/show?id=W69lne5vPQg&bids=53128.10000255&type=4&subid=0"> 
</td>
</tr>
</table>]]>

</content>
</entry>
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<title>第二十八回　日本代表を育てた日本高校サッカー選抜の海外遠征</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://j-senioronline.com/sports_classic/000112.html" />
<modified>2007-05-24T10:50:31Z</modified>
<issued>2007-05-24T10:45:56Z</issued>
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<created>2007-05-24T10:45:56Z</created>
<summary type="text/plain">   （文) スポーツジャーナリスト・白髭隆幸 協力：SPORTS 21   &amp;...</summary>
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<dc:subject>sports_classic</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://j-senioronline.com/">
<![CDATA[<table width="501" border="0" align="center" cellpadding="0" cellspacing="0">
<tr> 
<td align="right"><strong>（文) スポーツジャーナリスト・白髭隆幸</strong></td>
</tr>
<tr>
<td align="right">協力：SPORTS 21</td>
</tr>
<tr> 
<td>&nbsp;</td>
</tr>
<tr> 
<td>北京オリンピック出場をめざしてU-22日本代表がアジア予選を戦っています。ライバルのシリアに競り勝ち２次予選進出を決めたましたが、その中心選手として戦っているカレン・ロバート、平山相太、増田誓志らとは4年前、日本高校選抜チームのヨーロッパ遠征帯同取材のおり同じ釜の飯を食べた間柄です。もともと日本高校選抜は、アジアユース大会（現在のU-19アジア選手権。ワールドユースのアジア予選を兼ねる）の日本代表チームとして編成されていました。ところが1971年の第13回大会から日本ユース代表（20歳未満）が編成されるようになり（18歳以下の高校選抜では1歳の年齢差が大きく実力的に劣るという理由）、高校選抜は発展的解消ということなりました。

<p>そこで、全国高校選手権を主催する全国高等学校体育連盟サッカー部は、将来有望な若い選手たちに海外遠征の経験を積ませようと、日本高校サッカー選抜チームを1973年から結成、毎年欠かすことなく海外遠征を挙行してきました。（以前は春休み、現在はイースターの時期に開催される国際大会に参加するため時期は前後しています。）年末年始に開催されている全国高校選手権の優秀選手の中から選抜された選手が、77年まではアジア各地を、78年からはヨーロッパに遠征しています。87年からはドイツ・デュセルドルフ国際ユース大会とスイス・ベリンツォーナ国際ユース大会に交互に出場しています。</p>

<p>70年代から80年代にかけては、代表クラスのチーム以外で、サッカーで海外遠征をすることなど夢のまた夢の時代でした。高校選手権に出場し、優秀選手に選ばれ、そして海外遠征に行く。それはサッカー少年たちにとっては、ものすごいステータスであり、モチベーションを高める一大事業でした。わたしが、この遠征に最初に帯同取材したのが1983年。メンバーには清水東の三羽ガラスといわれた長谷川健太（現エスパルス監督）、大榎克己（現早稲田大学監督）、堀池巧（テレビ解説者）が2年生で参加していました。オランダのザイストで合宿、後に代表監督になるハンス・オフトがオランダサッカー協会の指導者コーチをしており、かれの指導も受けました。</p>

<p>当時の日本サッカーのレベルは低く、初参加となったデュッセルドルフ国際ユース大会では10チーム中6位に終わりましたが、初めて見たヨーロッパでのサッカーは強烈な印象でした。見学に行ったアムステルダム国立博物館のレンブラントの傑作「夜警」を見た時の感動も、昨日の事のように記憶しています。高校生にとっては、一生心に残る体験になったと思います。今でこそJリーグに進む高校3年生が、この遠征を辞退することが多くなってしまいましたが、かっては将来、代表入りする選手の多くが、この遠征に参加しました。ざっとあげてみると澤登正明、藤田俊哉、名波浩、小倉隆史、前園真聖、三浦淳宏、波戸康広、城彰二、川口能活、都築龍太……。ほんとうに多くの選手が高校選抜チームでヨーロッパに遠征しています。</p>

<p>この高校選抜の遠征は、国際ユース大会で2度優勝しています。最初の優勝は11年前の1996年、第56回ベリンツォーナ国際ユース大会です。この大会は国際サッカー連盟(FIFA)公認で、日本チームがFIFA公認大会の全てのカテゴリーの中で、優勝したのは史上初めてのことでした。その遠征の報告書に、参加したある選手が一文を寄せています。「今回の遠征に参加でき、ヨーロッパのサッカーを体験できたことは、僕のサッカー人生において本当に有益であったと思います。ただ、大会の試合に1試合も出場できなかったことは悔しかったです。この経験を今後のサッカー人生に生かしていきたいと思っています」</p>

<p>これを書いたのは、いまをときめくスコットランドで活躍中の中村俊輔です。桐光学園2年生の時、高校選手権で準優勝した中村は、優秀選手に選ばれ高校選抜の一員としてヨーロッパ遠征に参加したものの、本大会には出場できませんでした。時々、スポーツ新聞などで、「中村俊輔擁する高校選抜はベリンツォーナ大会で優勝している」という記事を目にすることがありますが、笑ってしまいます。中村は1試合も出ていないのですから。その時の事情を、当時の監督だった林義規先生（暁星高校教諭）は、<br />
「あの時の中村はテクニックはあったが、ヒョロヒョロしていて、とても試合に出せるような状態ではなかった。ただベンチで試合中でもノートを広げて気が付いたことがあると書き込んでいたね」と語っています。</p>

<p>その年の秋も深まった時に行われたアジアユース大会。中村俊輔はU-19日本代表に選出され大ブレークしています。やはり、高校選抜での体験が、かれの成長に大きく影響していることは間違いないでしょう。前園真聖も中村と同様、高校選抜では大会の試合には、まったく出ていません。試合に出ないことでも、その体験は重要であると言えるんでしょうね。わたしは1983年以来およそ１年おきに13回、高校選抜の遠征に同行し取材しています。残念ながら優勝の場面には立ち会っていません。2006年、日本高校選抜チームは第66回ベリンツォーナ国際ユース大会で10年ぶり2度目の優勝を果たします。残念ながら、その場面にも居あわせることが出来ませんでした。</p>

<p>それを受けた今年の高校選抜チーム。初のデュッセルドルフ国際ユース大会優勝を取材できるのでは、と楽しみに出かけたのですが、残念ながら4戦全敗。1ゴールも上げられずに10チーム中10位（つまり最下位）と沈んでしまいました。ヨーロッパ強豪の4チーム（フォルツナ・デュッセルドルフ、ハンブルガーSV、PSVアイントフォーヘン、ヴェルダー・ブレーメン）の厚い壁に跳ね返されてしまったのです。1991年のJリーグ創立以来16年間、ずっと右肩あがりできた日本サッカー界も、そろそろ考え直す時期が来ているのかもしれません。「負けて学ぶこともある」。この遠征は、あくまでも通過点です。この苦い経験を生かして、将来有望な選手たちには、中村俊輔のように成長してもらいたいと思っています。<br><br />
<br><br />
</p></td><br />
</tr><br />
<tr><br />
<td  align="center"><br />
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<title>第十三回　「二刀流」時代劇ヒーロー列伝</title>
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<modified>2007-05-16T12:10:49Z</modified>
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<![CDATA[<table width="504" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
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<td> <h2><strong><font color="#996600">細面の二枚目だった『白馬童子』</font></strong></h2>
<p><img src="http://j-senioronline.com/images/tv/13/06.gif" width="141" height="132" hspace="10" vspace="5" align="left">映画がピークを迎えたのは１９５８年だった。年間の映画館入場者数は１１億２７４５万人。全国の映画館数が７千軒。当時の人口対比でみると、日本人のすべてが１年に１２回以上映画を見たことになり、人口１万３千人に対して１軒の映画館が存在したことになる。 
しかし、翌年の皇太子ご成婚に伴うテレビの普及により、映画人口は減少しはじめ、６５年には年間入場者数は３億７千万人とピークの三分の１となり、映画館も休館に追い込まれ、５千軒以下となった。	
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当初、映画界はテレビの普及には限界がくると考えており、小遣い稼ぎに製作費の安いテレビ映画をテレビ局へ提供していた。特に大量の俳優を抱えていた東映は、増産できる体制にあった。 
そんな中で、チャンバラの東映がテレビ向けに製作し、ヒットしたのが５９年の『風小僧』だった。原作は“新諸国物語”シリーズの北村寿夫。『笛吹童子』『紅孔雀』の延長線上にある作品だよ。	
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<img src="http://j-senioronline.com/images/tv/13/05.gif" width="192" height="134" hspace="10" vspace="0" align="right">主人公の風小僧は『紅孔雀』に登場したキャラクター。巨万の財宝のありかを秘めた白鳥の球をめぐって、風小僧と悪人たちと戦う波乱万丈の物語。 
少年期の風小僧を目黒祐樹（松方弘樹の弟だよね）が、風小僧の師匠役で山城新伍が出演していた。当時小学生だった目黒祐樹は、中学校へ行くためにワンクール（１３回）で降板。代わって青年期の風小僧を山城新伍が主演。	
第２シリーズは北村寿夫の原案を離れ、普段は城の若殿だが、事件が起こると風小僧となって悪人を退治するという設定にかわった。風に乗って空を飛ぶというのが、スーパーマンみたいでカッコよかったなあ。	
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